死んだという嘘でさぼる
人がさぼるときの言い訳にはさまざまなものがあるが、親族が死んだと嘘をついてさぼるという場合がある。例えば、「祖父が死んだので葬式のために休みます」といったたぐいのものだ。こうした嘘は望ましいものではないが、現代日本ではこうした嘘をついたとしても、それだけで刑務所に入れられることはない [1] 。
しかし、律令制のもとでは、このような嘘をついて休みをとろうとした場合、徒刑という一種の懲役刑が処せられることがあった。徒刑とは、拘禁されて強制労働に当てられる刑であり、現代日本の懲役刑に似たものである。
唐律
唐(618-907)は律令と呼ばれる法をもって人民を支配した。律は刑法的な法律で、令は主に行政法的な法律である。唐律には「詐偽律」という律があり、いつわりごとに関する犯罪とその処罰について規定している。
『唐律疏議』という唐代に編まれた唐律の解説書には、「詐偽律」の条文として「父母死詐言余喪条」というものが設けられている。その中に、祖父母などが死んだといつわった場合の処罰が書かれている [2] 。
つまり、本当は死んでいないのに、祖父母・父母・夫のいずれかが死んだと称して休暇 [3] を求めたら、三年の徒刑に処せられる。他の親族が死んだといつわった場合は、祖父母などに比べれば刑が軽いものの、刑が科せられることには変わりない。
なぜ、このような刑が科されたのであろうか。唐は儒教を非常に重視した。儒教では、孝という道徳が重要なものとされる。この孝は、父母をはじめとする目上の親族を大切にすることを指す。祖父母などの目上の親族は大事にしなくてはならないのに、あろうことに死んでいないのに死んだと嘘をつくことは当時の考えからすると言語道断であり、刑を科して当然であった。このため、上記のような処罰が律で規定されたのである。
その後の中国王朝での規定
なお、その後の中国王朝でも唐律のように、親族が死んでいないのに死んだと嘘をついた場合に処罰する規定を設けている。
宋(960-1279)は唐律をほぼそのまま引き継いでおり、宋でまとめられた『宋刑統』には「詐偽律」の中に、親族が死亡したといつわることに関して『唐律疏議』と全く同じ条文が収録されている。
明(1368-1644)でも、官吏が喪に関していつわった場合に処罰する規定が設けられた。明朝が定めた『大明律』の「礼律」に「匿父母夫喪条」があり、以下のように記されている。
日本の律
日本の律は基本的に唐律をそのまま使っており、祖父母などが死んだといつわった場合に処罰されることは唐律と同じである。
『新訂増補国史大系 22 律・令義解』では、『法曹至要抄』と『金玉掌中抄』から以下の律の逸文を引いている。
唐律と文言はほぼ同じである。ただし、唐律で三年の徒刑であったのが、日本の律では一年半の徒刑に減っている [4] 。
- 河北新報オンラインニュースの「実在しない親族死亡と忌引12回 懲戒免職」(2015年3月27日付け)という記事によれば、仙台市の公務員で親族が死亡したと12回いつわった人物が、2015年3月に懲戒免職されたという。現代日本でも死んだと嘘をついてさぼることによって、不利益をこうむることはあるので注意しよう。 [↩]
- 以下、原漢文は旧字体により、書き下し文と訳は新字体によるものとする。また、書き下し文は歴史的仮名遣いにより、訳は現代仮名遣いによる。 [↩]
- 律の条文の中の「假」は官人に与えられる休暇のことを指す。 [↩]
- 父母が死んだのにいつわって官を辞さない罪も日本の律の方が軽くなっているようである。『新訂増補国史大系 22 律・令義解』は『假寧令集解』と『明文抄』に載っている逸文を引いて「凡父母死應㆓解官㆒。詐言㆓餘喪㆒不㆑解者。徒二年。」(p.153) としている。唐律とほぼ同様の文言だが、唐律で徒三年となっているところが、二年に減っている。 [↩]