王莽の新王朝は西暦8年から始まったのか、9年から始まったのか

概要
王莽󠄁が即位して、天下の号を新とした「初始元年十一月二十五日」は、西暦9年1月10日に当たる。ただし、初始元年はほぼ西暦8年に相当するので、新王朝が始まったのが西暦8年と言えなくもない。

西暦8年か9年かで揺れる新王朝の開始年

前漢の末期に権力を握った王莽󠄁は、自ら皇帝の位につきを国号とした。

この王莽󠄁の新は、西暦何年から始まったのだろうか。歴史書や辞典のたぐいを見ると、西暦8年から始まったとするものと西暦9年から始まったとするものに分かれている。

西暦8年と西暦9年のどちらかが間違っているのだろうか。結論から言うと、おそらくどちらも間違いではない。2つの年が出てきてしまっているのは、中国暦を西暦に換算するときの考え方の違いによると思われる。

西暦9年とする際の考え方

『漢書』の「王莽󠄁伝」によると、王莽󠄁は初始元年十一月戊辰日に即位し、天下の号を新とした [2]。ここでの戊辰は日を表す干支で「初始元年十一月戊辰日」は初始元年十一月二十五日に当たる。そして、初始元年十一月二十五日は、西暦9年1月10日に相当する。

西暦9年のある1日に王莽󠄁が即位して、国号が新になったたのだから、新王朝は西暦9年から始まったと考えるのだ。

西暦8年とする際の考え方

さて、前述のように王莽󠄁が即位したのは、初始元年である。この年の干支は戊辰である。この戊辰年の正月一日は、西暦8年1月27日に当たる。そして、この戊辰年の大半の期間は西暦8年に相当する。具体的に言うと、この戊辰年の十一月十五日までは西暦8年、十一月十六日からは西暦9年である。王莽󠄁が即位したこの戊辰年はほぼ西暦8年なので、新王朝は西暦8年から始まったと考えるのだ。

王莽󠄁が即位した戊辰年の年号は、正月一日の時点では居摂三年であった。その後、十一月二十一日に改元が行われ、初始元年となった [3] 。さらに、同月二十五日の王莽󠄁の即位の際に、十二月一日を翌年の正月一日とすることとなった [4] ので、戊辰年は十一月いっぱいで終わることとなった。

王莽󠄁の新王朝の開始前後の暦
西暦(ユリウス暦) 中国暦 年の干支 日の干支 できごと
8年1月27日 居摂三年一月一日 戊辰 己卯
中略
8年12月16日 居摂三年十月三十日 戊辰 癸卯
8年12月17日 居摂三年十一月一日 戊辰 甲辰
中略
8年12月31日 居摂三年十一月十五日 戊辰 戊午
9年1月1日 居摂三年十一月十六日 戊辰 己未
中略
9年1月5日 居摂三年十一月二十日 戊辰 癸亥
9年1月6日 初始元年十一月二十一日 戊辰 甲子 居摂三年を初始元年とする。
中略
9年1月10日 初始元年十一月二十五日 戊辰 戊辰 王莽󠄁、即位。国号を新とする。
中略
9年1月14日 初始元年十一月二十九日 戊辰 壬申
9年1月15日 始建国元年一月一日 己巳 癸酉 十二月一日をもって始建国元年一月一日とする。

参考文献

脚注
  1. 年表では「王莽󠄁、高祖廟にて禅譲を拝受する。」を西暦8年としている。 []
  2. 「以戊辰直定、御王冠、即真天子位、定有天下之號曰新。」 []
  3. 「十一月甲子、莽󠄁上奏太后曰……以居攝三年為初始元年……奏可」(『漢書』「王莽󠄁伝」) []
  4. 「以十二月朔癸酉為建國元年正月之朔」(『漢書』「王莽󠄁伝」) []