王莽の新王朝は英語で何と言うか

概要
王莽󠄁が開いた王朝の「新」のことを英語で、Xin dynasty と呼ぶこともあるし、Wang Mang interregnum と呼ぶこともある。

はじめに

前漢末期に権勢をふるった王莽󠄁は、前漢の最後の皇帝を廃して、みずから皇帝となった。彼が開いた王朝が(紀元後9年–23年)である。

この王莽󠄁の新王朝のことを英語では何と言うのだろうか。大きく分けて、次の2種類の言い方がある。

  1. Xin dynasty
  2. Wang Mang interregnum

それぞれの言い方について以下で用例を見ていこう。

Xin dynasty

一つ目の言い方は Xin dynasty である。Xin は「新」の中国語音をローマ字にしたものである。また、dynasty は王朝という意味である。

用例を見てみよう。Knechtges (2010: 116) では、以下のように Xin dynasty と書いている。

Historians conventionally treat the Eastern Han as a restoration, for it was not technically a new dynasty but the return of imperial authority to a member of the Liu clan, which had lost its claim to the throne during the Xin dynasty (9–23) of Wang Mang (45ʙᴄ–ᴀᴅ23).

「新」を Xin と表記するのはピンインに基づくローマ字である。ウェード式に基づく場合 Hsin となる。以下に引用する Needham (1981:231) の文では、ウェード式で Hsin dynasty と表記している。

During the short-lived Hsin dynasty, which ended with his assassination in A.D. 23, Wang Mang instituted an extensive reform program ostensibly based on ancient, classical models.

Wang Mang interregnum

もう一つの言い方が Wang Mang interregnum である。これは直訳すれば、「王莽󠄁の空位時代」と言えるだろう。Wang Mang は「王莽󠄁」の中国語音をローマ字にしたものである。interregnum は君主などが不在である期間のことを指す。

王莽󠄁が皇帝として即位していたわけだから、完全に君主が不在であったわけではない。それにも関わらず interregnum と呼ぶのは、前漢の皇帝と後漢の皇帝の間にあって、不安定な時代であったためだろう。

ちなみに、イギリス史において大文字で the Interregnum と書けば、これは清教徒革命でチャールズ1世が処刑されてから、チャールズ2世が即位するまでの期間を指す。ステュアート朝の王政 → the Interregnum → ステュアート朝の復古王政という流れだ。中国史の話に戻ると、前漢の帝政 → 王莽󠄁の時代 → 後漢の帝政という流れ [1] なので、形としては似ている。

さて、Wang Mang interregnum またはこれに類する表現が用いられている例をいくつか見てみよう。

古代中国を扱った Ancient China: A History という本 (Major & Cook, 2017) の第11章のタイトルは The Later Western Han and the Wang Mang Interregnum となっている。Western Han はいわゆる前漢のことで、the Later Western Han は「前漢の後期」。そして、the Wang Mang Interregnum は、先ほど述べたように「王莽󠄁の空位時代」(=新王朝)ということになる。

Gardner (2014: xv) には Chronology と称して、中国史の時代のリストが掲載されている。このリストにおいては、

Wang Mang interregnum, 9–23

と記されており、新王朝が存続した9年から23年の期間を Wang Mang interregnum と呼んでいることが分かる。

また、Adamek (2017: xiii) にも Chronological Table と称して、中国史の時代のリストが掲載されている。このリストにおいては、

Interregnum of Wang Mang 王莽󠄁: 9–25 AD

と書かれている。表現のしかたは若干異なるが、この時代のことを interregnum と呼んでいることは同じである。なお、ここでは、王莽󠄁が死んで新が滅んだ23年まででなく、後漢の光武帝が即位した25年までを王莽󠄁の interregnum の期間にしている。

また、大英博物館のウェブサイト上の用語集の Xin dynasty の項目では以下のように書いてある (British Museum, n.d.)。

Also known as
Xin dynasty
Wang Mang interregnum
Xin

ここからも Xin dynasty = Wang Mang interregnum であることが分かるだろう。

参考文献

脚注
  1. 更始帝や劉盆子の政権はとりあえず無視するものとする。 []