昭和五年度陸軍士官学校入試問題(地歴)

概要
昭和五年度の陸軍士官学校の入試問題のなかから地歴の問題を紹介する。地理、西洋史、日本史と盛りだくさんの内容である。

はじめに

本日は、昭和五年度(1930年度)の陸軍士官学校の入学試験の問題のうち、地理と歴史の問題を紹介する。陸軍士官学校は旧日本陸軍の将校養成機関である。昭和五年当時、陸軍士官学校は予科と本科に分かれており、予科で2年の教育を受けた後、隊付勤務6ヶ月を経て、本科1年10ヶ月の教育を受ける。今回扱う入試問題は予科への入学者を選抜するためのものである。予科への入学試験は、旧制中学4年修了 [1] 程度の学歴を持つものが受けることができた。現代で言うと、高校1年生が受験するようなものである。

なお、以下で掲げる解答例はなるべく昭和五年当時の「模範解答」に近づくように書いた。これは歴史をよりよく理解するためである。このため、今では不適切な表現もあるが、ご寛恕願いたい。

時代背景

地理や歴史の問題に解答するときは、その問題が出された時代の社会背景を十分理解しておく必要がある。国境ですら時代によって変わるからだ。というわけで、問題の解説をする前に、昭和五年(1930年)がどういう年なのか簡単に説明しておこう。

この年は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期(戦間期)に属する。前年(1929年)10月24日のニューヨーク株式市場での株価の大暴落により、大恐慌が発生していた。世界各国は経済・政治の面で混迷を極めていた。1930年9月にドイツで行われた総選挙ではナチスが躍進、1933年にはヒトラーが首相となる。第二次世界大戦が刻一刻と近づいていた。

日本でも、昭和恐慌による社会不安が進展していた。日本では、もともと1927年に金融恐慌が発生していたところに、1929年の世界恐慌も襲いかかり、1930年には深刻な不況に陥った。さらに、翌1931年には関東軍の独走により満州事変が発生、戦争への道を進んでいくことになる。

問題

以下が、昭和五年度の出題された陸軍士官学校の入試の地歴の問題である。

〔第一問〕

(一)中華民國內の各民族並に其の主として住する地域を擧げよ。

(二)パナマ運河に就きて記せ。

〔第二問〕

(一)ヨーロツパに於て海に面せざる主なる國五つと其の首府とを擧げて見よ。

(二)左の地名に就き知る所を記せ。

  (イ)宜蘭

  (ロ)新冠

  (ハ)秦皇島

  (ニ)ツーロン

〔第三問〕

(一)遣唐使の派遣と停廢とに就きて述べ且つ其の我が國に及ぼしたる影響を附記すべし。

(二)文永の役に就きて記すべし。

(三)蘭學の發達に就きて記すべし。

〔第四問〕

(一)羅馬に貧富兩黨を生ぜし原因を記せ。

(二)中古末の三大發明とその影響とを記せ。

(三)左の諸項に答へよ。

  甲、ジブラルタルが英領となりしは如何なる事件の結果なるか。

  乙、左の人々は何を以て有名なるか。

    (イ)コペルニクス

    (ロ)ジエンナー

昭和五年度陸軍士官学校入試問題(地歴)。帝国軍事協会〔編〕『陸軍諸学校入学試験問題及模範解答集』(1933、帝国教育会出版部)の113-115ページより孫引き。

解答・解説

第一問・第二問(地理)

第一問と第二問は地理に関する問題である。

中国の民族

第一問の(一)は、中華民国内の民族に関する問題である。中国には様々な民族がいるので、そのすべてを書くのは到底無理な話である。主要な民族だけ書ければ問題ないだろう。当時、「主要な」民族と見なされていたのは、漢・満・蒙・蔵・回の五民族である [2]

「漢」は中国内の最大民族である漢民族のことで、当時は中国本土 (China Proper) に集住していた。「満」は満洲民族のことである。満洲民族はもともと東三省(いわゆる中国東北地方、昭和五年当時の言い方で言えば、満洲)に生活していたが、満洲民族の王朝である清王朝が中国本土も支配するに及び、中国各地に分散することとなった。とは言え、東三省や華北に住むものがほとんどであった。「蒙」とは蒙古民族、すなわちモンゴル民族のことである。当時の中華民国の行政区分では蒙古地方 [3] に居住するものが多かった。「蔵」とはチベット民族のことである。当時の中華民国の行政区分で言うと、西蔵地方・青海省に集住していた。ただし、昭和五年当時、チベット民族の住む地域は、中華民国から半独立状態にあった。「回」とはイスラームを信じる諸民族の総称である。これには、現在のいわゆる回族のほかに、ウイグル族なども含む。

と言うわけで、以下に解答例を掲げる。

  • 漢民族…支那本部
  • 滿洲民族…滿洲、北支
  • 蒙古民族…蒙古地方
  • 西藏民族…西藏地方、靑海省
  • 回民族…新疆省、寧夏省

なお、この問題を解く際には、昭和五年であるということに気をつける必要がある。この時点では満州も含めて記述する必要がある。しかし、翌昭和六年(1931年)には満州事変が発生し、昭和七年(1932年)には満州国が樹立される。満州国が成立した後だと、「満州は中華民国の一部ではない」というのが日本の公式の立場になるので、「中華民国内の各民族」に関する問題に解答する際に満州のことに触れるのはよろしくない。よって、満州国成立以降では、満洲民族を除いて書く必要がある。

パナマ運河

第一問の(二)は「パナマ運河に就きて記せ」というかなりおおざっぱな出題である。解答欄の大きさが分からないので、どれぐらい書けばよいかわからないのだが、以下のような点をおさえて書けば良いと思う。

よって、答えは次のようになる。

パナマ運河は20世紀初頭に中米のパナマ地峽に掘削されたる運河であり、大西洋と太平洋とを短絡するものである。この運河は米國人の開鑿せるもので、今なほ米國の支配するところとなつてゐる。

ヨーロッパの内陸国

第二問の(一)はヨーロッパで海に面していない国(内陸国)を挙げる問題である。昭和五年当時と現在とではヨーロッパに存在する国が違うので注意する必要がある。昭和五年当時のヨーロッパで、海に面していない国は以下の通りである。国名の後の括弧にあるのが首都 [5] である。このうち、バチカンはラテラノ条約にて1929年に成立したばかり。オーストリアは、1938年にヒトラー率いるナチスドイツにより併合される(アンシュルス)。チェコスロバキアも1939年にナチスドイツにより地図上から消し去られた。

問題文では「主なる国」とあるので、アンドラやリヒテンシュタインのようなミニ国家を挙げるより、オーストリアからルクセンブルクまでの比較的規模の大きい五国を書く方がよい。

地名に関する小問

第二問の(二)は各地の地名に関して説明する問題である。割合と細かい地名が多い。

(イ)で挙げられている宜蘭(ぎらん)は台湾北東部にある町である。当時の台湾は日本の植民地であり、この町も日本の支配下にあった。(ロ)の新冠は「にいかっぷ」と読む。北海道南部、太平洋に面する。現在は新冠町となっているが、昭和五年当時はまだ町制が施行されておらず、新冠村であった。(ハ)の秦皇島は中国河北省にある都市で、渤海に面する。(ニ)のツーロンは地中海に面するフランス南東部の都市であり、フランス海軍の軍港がある。

第三問(日本史)

第三問は日本の歴史に関する問題である。古代、中世、近世が1問ずつとバランスが良い出題となっている。また、政治史だけでなく(三)のように文化史に関する問題もある。戦前の試験なので、日本の歴史に関する論述問題で年代を書くときは、西暦で書くよりも、どの天皇の治世だったかを書くとそれっぽくなる。

遣唐使

第三問の(一)は遣唐使について問うている。以下のような点をおさえておこう。

遣唐使は舒明帝の御代に犬上御田鍬を唐に遣はしたことを嚆矢とし、爾來二百數十年の閒、斷續的に遣使が行はれた。遣唐使により、唐の文化が輸入せられ、我が國に於て唐風文化が榮えたほか、律令體制の導入、佛敎(南都六宗、眞言宗、天台宗)への影響も大であつた。宇多帝の御代に、菅原道眞が遣唐使の廢止を奏上し、以て廢止となつた。これにより、文化の面で唐の影響を離れ、我が國獨自の國風文化が生じた。

文永の役

第三問の(二)は文永の役について問うている。いわゆる元寇の1回目が文永の役である。元軍が負けた理由として神風を入れておくとポイントが高い。

文永年閒、元軍が高麗軍とともに北九州に來寇した。鎌倉幕府は九州の武士などを集めて、これを禦いだ。後に神風が吹き、元軍の舟船は悉く沈み、以て元軍は潰滅した。

蘭学

第三問の(三)は江戸時代の蘭学についての問題である。

蘭學とは、德川時代に蘭語を介して西洋の技藝を導入した學問のことである。八代將軍德川吉宗は蘭書輸入の禁令を緩和し、以て蘭學の素地が成立した。その後、杉田玄白らは『解體新書』を翻譯するなど、醫學を中心に西洋の學問が導入された。この他、エレキテルなどを紹介した平賀源內、西洋畫の技法の導入を行つた渡邊崋山など、物理學、化學、生物學、天文學などの分野に於ても蘭學が行はれた。

第四問:西洋史

第四問は西洋史に関する問題である。古代、中世、近代が一問ずつとバランスの良い出題となっている。

古代ローマ

第四問の(一)は「羅馬に貧富兩黨を生ぜし原因」を問う問題である。「羅馬」とは「ローマ」と読む。これは古代ローマのことである。また、「貧富兩黨」は、古代ローマの政治上の派閥であるポプラレス (populares) とオプティマテス (optimates) のことを指す。現在では、ポプラレスは「平民派」とオプティマテスは「閥族派」と訳されることが多い。

共和政末期の羅馬に於ては、戰亂により中小農民が沒落し、貧苦に喘いでゐた。爲に、グラックス兄弟は、富者の兼倂を抑へ、以て困窮せる市民を救はんとした。しかるに、元老院に據る富者はこのグラックス兄弟の改革に反發し、兄弟を死に至らしめた。この兄弟の意志を繼ぎて富者を抑へんとしたのが貧黨であり、これに對抗したのが富黨である。 [7]

三大発明

第四問の(二)で問われている三大発明とは、ルネサンス期のヨーロッパの社会に大きな影響を与えた3つの改良 [8] のことである。その3つの改良とは、火薬・羅針盤・活版印刷である。

  • 火薬:火薬を用ゐた銃砲は、従来の戦法を一転せしめ、騎士層の没落を招来した。
  • 羅針盤:航海が容易となり、貿易の利を得るのみならず、植民地を多数獲得した。
  • 活版印刷:思想・学術の成果が容易に頒布せらるるやうになり、宗教改革の進展、科学の進歩に資するところ大であつた。

ジブラルタル

第四問の(三)の甲では、ジブラルタルがイギリス領となった発端を問うている。ジブラルタルは、スペイン継承戦争の講和条約である1713年のユトレヒト条約によってスペインからイギリスに割譲された。

よって、答えは以下の通り。

スペイン繼承戰爭

ジブラルタルはイベリア半島南端にあり、その周囲はスペイン領である。ジブラルタルは1713年以降今に至るまでイギリス領となっている。この地は地中海と大西洋をつなぐ海上交通の要衝であり、この地をおさえたことで、イギリスは海洋覇権を握ることができたのである。

近代科学史

第四問の(三)の乙は、著名な科学者の業績を問う問題である。

ニコラウス・コペルニクス (Nicolaus Copernicus, 1473-1543) はポーランドの天文学者で、当時の支配的宇宙観であった天動説(地球が宇宙の中心であり、太陽や他の惑星は地球の周りを回っているとする考え)に反対し、地動説(太陽の周りを地球や他の惑星が回っているとする考え)を提唱したことで有名である。

また、エドワード・ジェンナー (Edward Jenner, 1749-1823) はイギリスの医師で、天然痘の予防接種として、種痘法を発明したことで有名である。

よって答えは以下の通りになる。

甲:コペルニクスは地動說を提唱せることで有名である。

乙:ジエンナーは種痘法を發明せることで有名である。

脚注
  1. 旧制高等学校に関しても、旧制中学4年修了時点の者が入学できる。 []
  2. なお人口の比較的多い民族としては、「僚」や「獞」と呼ばれていた民族がある。これは現在の中華人民共和国でチワン族(壮族)と呼ばれている民族のことであり、現在の中国では漢族の次に人口が多い。なお、チワン族は広西壮族自治区や雲南省などに多く住んでいる。 []
  3. 蒙古地方には、南モンゴル(内蒙古、現在の中華人民共和国内モンゴル自治区の領域)だけでなく、北モンゴル(外蒙古、現在のモンゴル国の領域)も含む。昭和五年当時、北モンゴルにはモンゴル人民共和国という独立国が存在していたのだが、中華民国当局としてはモンゴル人民共和国の独立を認めていなかった。 []
  4. パナマ運河地帯が米国からパナマに返還されたのは1999年のことである。 []
  5. 問題文には「首府」とあるが、これは「首都」と同じ意味である。 []
  6. 具体的には、真言宗と天台宗。 []
  7. 2017年12月16日:この解答例の誤字修正。 []
  8. 発明という名前がついているが、実際にはヨーロッパで発明されたものではない。東方で発明されたものをヨーロッパで改良したのである。 []