はじめに
東京大学が学部入試で平成28年度より推薦入試を行うことを発表した。東京大学は長らく推薦入試を行わず、基本的に学力を測る筆記試験を用いて入学者を決めてきた。
しかし、創立以来推薦入試を全く行わなかったというわけではない。実は、戦時中に学力試験をおこなわず、調査書を用いて入学者を決めていたことがあった。
戦時下の東大入試
戦前の大学制度は現在のものとは異なっている。まず、明治30年(1897年)から昭和22年(1947年)の間、東大の正式名称は「東京帝国大学」であった。東京帝国大学を始めとする帝国大学に入学するためには、基本的に旧制高等学校を卒業しなくてはならなかった。旧制高等学校と帝国大学の定員はほぼ同じだったので、学部学科にこだわりさえしなければ、高等学校を卒業しさえすれば、自動的に帝国大学に入学できることになる。しかし、人気のあるところは定員を超える受験生が集まったので、筆記試験などで選抜が行われていた。例えば、東京帝国大学法学部はかなり人気があり、筆記試験で良い点数を取らないと入学できなかった。逆に、不人気学科は、無試験で旧制高等学校の卒業者を受け入れていた。
要するに、戦前は、人気があれば筆記試験で選抜入試を行い、人気がなければ無試験で入学させていたということになる。
さて、昭和19年(1944年)秋に入学するもの [2] に対しての入試について、文部省 [3] から以下のような通達がなされている。
つまり、各大学は受験者の出身校の調査書を用いて合否を判定するようにと定められたのである。これに基づき、東京帝国大学では、筆記試験を行わず、調査書を用いて入学者を決定している。これは実質的な推薦入試である。なぜこのようにしたかというと、戦時下において面倒な入試を行うわけにはいかなかったためだ。
昭和19年(1944年)秋の「推薦入試」で東大に入学した人として、後にノーベル物理学賞を受章した江崎玲於奈がいる。江崎は以下のように述懐している。
また、後に『読売新聞』の主筆を務める渡邉恒雄は、昭和20年(1945年)春に同様の調査書による選抜で、東京帝国大学文学部哲学科に入学を果たしている。ただ、哲学科は定員割れの不人気学科だったので、戦時下でなくても事実上無試験で入学できたと思われる。