11月9日のドイツ史

概要
11月9日には、1918年のドイツ革命、ベルリンの壁崩壊などドイツ史上重大な事件が何度か起きている。

運命の日

11月9日というと、大したことのない日付のように見えるが、実はドイツ史上重大な事件が何度も起きた日である。具体的には、以下のような事件が起きている。

この日に事件が重なったことは単なる偶然だろう。だが、重大な事件が何度も起きているために、ドイツではこの11月9日のことを Schicksalstag(運命の日)と呼ぶことがあるそうだ。

1848年

1848年には、ヨーロッパ全体で「1848年革命」と呼ばれる大革命が起きた。これは自由主義・民族主義の立場から、保守反動的な政府を倒そうとする革命である。ドイツでも、3月にウィーンやベルリンで革命が起きた。

しかし、ドイツでは、革命は徐々に鎮圧されていった。10月には、革命鎮圧の動きに対して、ウィーンで蜂起が起きたものの、これも鎮圧された。この蜂起で逮捕されたロベルト・ブルムが処刑されたのが1848年11月9日なのである。このことから、この日はドイツにおける1848年革命が失敗した日とも取ることができる。

ロベルト・ブルムの処刑。
ロベルト・ブルムの処刑。

1914年

1914年の7月に始まった第一次世界大戦は、ドイツがロシア・フランス・イギリスなどと戦うものであった。この大戦の序盤で大活躍したのが、ドイツ海軍の軽巡洋艦エムデンである。エムデンは、インド洋で通商破壊作戦に従事し、イギリスを大いに悩ませていた。このエムデンが、オーストラリア海軍の軽巡洋艦シドニーの攻撃を受ける。シドニーの攻撃により、エムデンは沈没しそうになったため、エムデンを故意に座礁させた。これが1914年11月9日のことである。

座礁したエムデン。
座礁したエムデン。

なお、1914年11月9日は、ドイツ陸軍のバイエルン予備歩兵第16連隊に所属する志願兵アドルフ・ヒトラーが、連隊本部付の伝令となった日でもある。このアドルフ・ヒトラーこそ、第二次世界大戦を引き起こした男である。

1918年

フィリップ・シャイデマンによる共和制宣言。
フィリップ・シャイデマンによる共和制宣言。

第一次世界大戦は長期化し、ドイツは疲弊した。そして1918年11月に入ると、国内各地で兵士や労働者による蜂起が発生した(ドイツ革命)。これを受けて、1918年11月9日に時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は国外逃亡し、社会民主党員のフィリップ・シャイデマンがドイツが共和制となることを宣言した。

1923年

アドルフ・ヒトラーが率いるナチスが、1923年11月8日ドイツ南部にあるバイエルン州の都市ミュンヘンで、武装蜂起を起こす(ミュンヘン一揆)。しかし、この蜂起はバイエルン州の首脳の協力を得ることができず、11月9日にあえなく鎮圧される。

ヒトラーはこの事件により逮捕され、刑務所に入れられるが、釈放された後に、ナチスをさらに大きくさせた。そして、ついに1933年にヒトラーはドイツの首相にまで上りつめる。

1938年

ヒトラーが総統として君臨するナチス政権は、反ユダヤ的な考えに立って、ユダヤ人を抑圧した。ナチスによるユダヤ人迫害事件で最も有名なものの1つが、1938年11月9日の夜に起きた「水晶の夜」 Kristallnacht である。この夜、ドイツ各地で、ユダヤ人の商店や家屋などが襲撃された。襲撃でたたき壊されたガラスの破片が水晶のように見えたことから、この事件のことを水晶の夜と呼ぶ。

水晶の夜に破壊された商店。
水晶の夜に破壊された商店。

1967年

1967年11月9日、ハンブルク大学で、学生が「アカデミックガウンの下には1000年のカビ」„Unter den Talaren – Muff von 1000 Jahren“とのスローガンを掲げた。これは、大学教授の権威主義的な態度を批判したものである。このスローガンは、1968年にドイツ各地で起きた学生運動の代表的なスローガンとなる。

なお、学生運動という形で現れた若者の反逆は、ドイツに限られたものではなく、同じ時期のフランス [1] や日本などにも見られたものである。

1989年

第二次世界大戦後、ドイツは資本主義の西ドイツと共産主義の東ドイツに分かれていた。西ドイツと東ドイツの対立を受けて、ベルリンには西側と東側を隔てる巨大な壁――ベルリンの壁――が築かれていた。

しかし、共産主義の退潮にともない、東ドイツ政府は、旅行に関する規制を緩和することを決めた。このことが1989年11月9日の記者会見で明らかにされると、ベルリンの市民はベルリンの壁の周囲に集まり、壁の両側の行き来を開放することを要求する。そして、最終的には、市民が建設機械などを使って壁を壊すことになった(ベルリンの壁の崩壊)。

脚注
  1. フランスでは、1968年に「五月革命」とも呼ばれる学生や労働者のストライキが発生し、1969年にド・ゴール大統領が退陣することになった。 []