はじめに
かつて、ドイツには『ジンプリツィシムス』(Simplicissimus) という風刺雑誌があった。本記事では、第一次世界大戦が始まったばかりの時期に、この雑誌に載った風刺画を紹介したいと思う。
『ジンプリツィシムス』は1896年にミュンヘンで創刊された風刺雑誌である(原田、2002)。1914年7月末に第一次世界大戦が始まると、この雑誌に大戦に関する風刺画が載りはじめることになる。
なお、『ジンプリツィシムス』は以下のオンラインアーカイブから閲覧可能である。
「平時と戦時のコサック」
この風刺画の1コマ目には平時のロシア帝国のコサック騎兵が武器を持たない民衆を虐待している様子が描かれている。2コマ目は戦時のコサックの様子を描いており、ドイツ兵の攻撃に対してコサック騎兵が手を挙げて降伏しようとしている。絵の下に書いてあるのは、「やめろ! やめろ! おれらは武器を持った連中とは戦わないんだ!」という意味のコサックのセリフ [1] 。
ロシアのコサックは弱いものには強いが、ドイツ軍という強いものには弱いと言いたいのであろう。
「デルカッセ氏とイズヴォリスキー氏の戦争」
倒れている兵士の中を歩いている2人が、風刺画のタイトルにあるデルカッセ氏とイズヴォリスキー氏だろう。デルカッセ氏はフランスで外務大臣を務めたテオフィル・デルカッセのことで、イズヴォリスキー氏はロシアで外務大臣を務めたアレクサンドル・イズヴォリスキーのこと。絵の下に書いてあるのは、「1人でも生き残ったら、お前ら2匹の犬どもを絞首台にかけてやる!」という意味の犠牲者のセリフ [2] 。
開戦の責任はフランスやロシアの側にあるということを言いたいのだろう。
「パリの前で」
この「パリの前で」と命名された風刺画では、ドイツ兵が乗ったロードローラーがフランス兵を押し殺している。絵の下に書いてあるのはフランスの政治家ジョルジュ・クレマンソーの言葉で、「仏軍の戦略的位置は独軍よりずっと安全であるように思われる」という意味のことが書かれている [3] 。なお、その後、史実のドイツ軍はパリを目前にしながら英仏軍の反撃にあって退却した。
「助けて、日本」
これは先ほどの「パリの前で」と同じ号に載った風刺画である。1コマ目では、フランス兵が日本兵に助けを求めている。2コマ目では、フランスが動けないと知った日本兵がトンキン(仏植民地で今のベトナム北部)を占領しにいくと述べている。要するに、フランスが欧州でやられているうちに、日本が極東のフランス植民地を奪取するだろうという想像を描いている。ただし、史実では、日本は英仏側に立ち、1914年8月23日にドイツに宣戦し、ドイツのアジア太平洋の植民地を奪取した。
この風刺画に付けられたキャプションは以下の通りである。
なお、第一次世界大戦期のドイツの風刺画で日本がどう描かれているかについては、飯倉 (2014) に詳しい。この論文には『ジンプリツィシムス』からの風刺画も載っている。
参考文献
- 飯倉章.(2014). 「第一次世界大戦期のドイツの諷刺画における“敵国”日本像」『城西国際大学紀要』 22 (2), 1-31.
- 原田乃梨子.(2002). 「ミュンヘンの 「赤い番犬」:諷刺誌 『ジンプリツィシムス』 の形式的側面について」『学習院史学』40, 96-100.
- ドイツ語原文:„Halt! Halt! Wir kämpfen nicht gegen Bewaffnete!“ [↩]
- ドイツ語原文:Die Opfer: „Wenn von uns nur einer am Leben bleibt um euch zwei Hunde an den Galgen zu hängen!“ [↩]
- ドイツ語原文:„Die strategische Lage der französischen Armee erscheint uns bedeutend sicherer zu sein als die der Deutschen.“ (Clemenceau) [↩]