帝国ジャガイモ局とは
帝国ジャガイモ局 (Reichskartoffelstelle) とは、第一次世界大戦中のドイツでジャガイモの適切な分配を行うために政府に設置された組織である。帝国ジャガイモ局は1915年10月9日に設置された。1916年5月22日に食糧統制のための戦争食糧庁 (Kriegsernährungsamt) [2] が設置されると、帝国ジャガイモ局はその一局となる。
なお、帝国ジャガイモ局は、ドイツ語では Reichskartoffelstelle(ライヒス・カルトフェル・シュテーレ)と表記される。この単語は、Reich, Kartoffel, Stelle の3つの部分で構成される。Reich は国家という意味だが、帝政ドイツ時代の Reich は日本語では通常「帝国」と訳す。そして、Kartoffel はジャガイモ、Stelle は部局を意味する。よって、Reichskartoffelstelle が「帝国ジャガイモ局」となるわけだ。
帝国ジャガイモ局には、行政組織たる管理部 (Verwaltungsabteilung) のほか、ジャガイモ供給に当たる営業部 (Geschäftsabteilung) が置かれていた。
第一次世界大戦中のドイツの食糧難と帝国ジャガイモ局
なぜ帝国ジャガイモ局という組織が作られたのだろうか。その理由として、(1) ドイツ人にとってジャガイモが重要な食糧であったこと、(2) 第一次世界大戦による食糧不足が発生したことが挙げられる。
ドイツは極寒というわけではないものの、スペインやイタリアなどの温暖な南欧に比べると、冷涼な地域である。このため、寒冷地でも良く育つジャガイモが食糧として重要になった。かのフリードリヒ大王 [3] もジャガイモの普及に力を入れている。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ドイツの食糧事情は悪化した。まず、軍隊に働き手を取られて農業生産が減少した。人間だけでなく、農業用の馬匹が軍事目的に徴用されてしまったことも、農業生産に悪影響を及ぼした。さらに、肥料も戦前ほど十分に供給されなくなった。そして、ドイツは戦前は3割程度の食糧を輸入に頼っていたのだが、戦争によって食糧の輸入ができなくなってしまい、食糧が不足するようになった。食糧が不足すると、食糧をたくさん持っている人は出し惜しみをして、多くの人に食糧が行き渡らなくなってしまう。また、輸送能力が軍事分野に取られてしまったため、せっかく食糧を生産してもそれを消費地に輸送することができなくなってしまっていた。
このような状況に対して、国家権力は食糧の分配を円滑に行わせる必要があった。このため、ドイツ人にとって重要な食糧であるジャガイモの分配を主要な任務とする帝国ジャガイモ局が設立されたのである。
しかし、ドイツの食糧事情は大戦中に悪化の一途をたどった。1916年にジャガイモが凶作となり、1916年から17年の冬は「ルタバガの冬」(Steckrübenwinter) として知られる辛い食糧不足の冬となった。なお、ルタバガとはカブのような野菜で、あまりおいしくなく、普通は人間が食べるというよりも家畜が食べるものである。ルタパガの冬においては、ジャガイモの代わりに、家畜用のルタパガを人間が食べてしのがなくてはならないほど、食糧が不足していたのである。
ドイツ政府はこの事態に対し、国民への食糧配給を極限まで減らしつつ、農業生産が回復するように、労働者の割り振りの改善を行った。しかし、食糧が不足しているという状況に対し、ドイツ国民の不満は高まり、最終的に1918年には革命が発生し、ドイツは降伏することを余儀なくされるのである。そして、敗戦後もドイツ国民は飢えに苦しむことになる。
- PixabayのPublicDomainPicturesによるパブリックドメイン画像を利用。 [↩]
- なお、1918年11月11日に第一次世界大戦の休戦協定が結ばれた後、11月19日に戦争食糧庁は国家食糧庁 (Reichsernährungsamt) に改称される。 [↩]
- フリードリヒ大王(1712-1786、在位:1740-1786)は、ドイツ北部のプロイセン王国の国王で、オーストリア継承戦争、七年戦争での勝利を経て、プロイセンの領土を大幅に広げた。 [↩]