大学生が休講でカフェーに行くと警官に見つかって説教を食らうという話

概要
太平洋戦争中に出された警察官向けの教材において、休講を理由としてカフェーにいた大学生が派出所に連れられて警察官から説教を食らうという設定の話がある。

はじめに

太平洋戦争中の1942年に、『説諭の栞』という警察官向けの教材が出された。これは、警察官が説諭――いましめるために言い聞かせること――を行う際に、どのような点に注意すべきかについて、さまざまな事例を通じて説明したものである。

この教材には、盗癖がある不良少年に説諭するなど、現代でもありそうな事例も載っているが、今では想像しにくいようなことにまで説諭している事例がある。その中で私が面白いと思ったのが、「休講なりと称し飲食店を徘徊する私立大学生に対して」の説諭の例である。この例では、休講であることを理由にしてカフェーにいた大学生が、警察官に派出所に連れられて、説諭を受けることになる。

この記事では、この大学生が説諭を受ける設定の話を引き、簡単な説明を試みたい。

凡例

ここで紹介するのは、『説諭の栞』の210ページから216ページにかけて掲載されている「第三節 休講なりと稱し飮食店を徘徊する私立大學生に對して」の全文である。

底本としては、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている『説諭の栞』を用いた。書誌情報は以下の通り。

「新字新仮名版(注釈付き)」に関して

「旧字旧仮名版」に関して

新字新仮名版(注釈付き)

一 事実

その日授業時間に相当する午前十時頃からカフェー [1] 飲食店に立入り帽子をアミダに [2] 煙草をくわえ従業婦を相手に卑猥ひわいなる談笑に過ごしている某私立大学生三名を臨検視察において発見したるをもって、授業の有無をただすに、休講だからと申し立てたるをもって、その情状学生として放任するに忍びず、派出所に同行の上説諭せんとす。

二 説諭要旨

僕は常に潑剌はつらつたる学生諸君が次代国民の指導者 [3] をもって任ずるるものとして尊敬を持つものであるが、今日君達三名の行動を見せられ今まさにその尊敬の念が奪われんとすることを悲しんでいる。君達の今日の行動はいかなる角度から考えても私には了解が行かぬことだ。とりあげて言うまでもないが、君達の下宿生活と一歩外に出た社会生活とはおよそかけ離れた事象となっているであろう。けれども学生には学生としての生活進路があるはずだと思う。ことにも日本の学生として生活進路を誤ることがあったならそれこそ次代国民の思想に大きなヒビが入り、国力の増進のごとき到底とうてい望みえない結果を想像しなければならないと思う。僕があえて君達の先輩ぶって今日の君達の行動を為すべきでないと取り上げることも、何も私に他意あるわけではない、国家というものを考えまた常に学生諸君の絶大なる気魄きはくを期待しておったからである。

最近多くの学生諸君が暑休 [4] 、冬休を利用して勤労奉仕あるいは心身鍛錬と全く寧日ねいじつない [5] 奮闘に対して私は心から頭が下がるものがあった。それなのに君達のみがその進路をこうした方面に採らなければならなかったということはかえすがえすも残念でならない。あるいは君達はその原因を学校当局に帰せんとすることもあるだろう、あるいは社会施設の責に帰せしめんとすることも考えているだろうが、 そのよこしまな進路を求めなければならないことは理屈なしに私は賛成しかねるのだ。理屈なしに自らを責めそして再び立ち上がる気魄きはくこそ必要であると思うのだ。

学生の進むべき道それは何としても国家の次代を背負うべき大きな役割を持っていることであり、しかも青年層を代表して厳格に鍛えあぐべき [6] 誇りと義務があるはずだと思う。その誇りと義務とを意識していないとすればそれは日本の青年でもなければ学生でもない、一個の手足まとい [7] になる不具者 [8] に等しい存在に過ぎないと私は言いたいのだ。

まず私は休講だからやむをえないという理由に一応答えてやろう。休講にて時間に余裕あるとしたならなぜ図書館に行かないか? もし図書館も満員ならなぜスポーツをやらないか? と…。もし学校の道場が選手のみによって占領され柔剣道すらできないと言うならそれも考えてあげよう! 私は署長さんにお願いして警察の道場を開放してもらってもよい。我々警察官はそうした純心じゅんしん淡泊たんぱくな精神の持ちぬしである学生諸君なら大いに温かい気持で迎えようとしていることを確約する。多くの学生諸君が折角せっかく中学 [9] で鍛えた得意のスポーツが私立大学に入って専門化し選手制にわざわいされて困っていることも聞いている。そうした意味では現在の学校制度と言うこともおたがい学生が研究する必要はあると思っているが、とにかく休講だから飲食店にて時間を空費する、脂粉しふんかおり [10]陶然とうぜん [11] としなければならないという理由の発見に苦しむのだ。ことにも酒類の販売するカフェー等では学生は断ってあるはずである。

自分の金で飲酒することは一般の者には禁じてはいないが学生なるがゆえにつつしめということは今まで私が話をしたことによってわかってくれたことと思うが、しかも君達の御両親はうちの子供は真面目に通学していると思っている、だから君達が学資金送れと言えば黙って送金もしてくる。それをよいことにして飲食店等で浪費することはどう考えても採るべきみちではあるまいと思う。そんなことは国民学校 [12]の生徒ですらわかっていることだと思う。しかし私は少くとも最高学府 [13] に学んでいる君達を国民学校あるいは中学の不良学生といっしょには取り扱ってはいないつもりだが、ただ君達が異郷に来て監督者である両親から開放されたるをさいわいとし学生として入るべからざる雰囲気の中に足を入れるということが将来を誤る第一歩であるということを私は言っているのだ。

かつては陸軍将官の厳格な家庭に育って一心に学業にはげんでおった君達の先輩も、一度このような雰囲気の中に不用意にも友人とともに立ち入ったため学費にきゅうしそれが判明して結局は実家からの送金が止まりついに白昼自分の妹の友人宅におそい入って空巣を働くに至り事件は裁判所送りとなった例もある。決してかりそめのことと考えてはならないことである。

まことに恐れ多いことであるが青少年学徒に御下賜ごかしあらせられた御勅語ごちょくご [14] の中の「ノ任実ニかかリテ汝等なんじら青少年学徒ノ双肩そうけんニ在リ」 [15] という御言葉を拝し「陛下の赤子」 [16] としての進路を踏み外さないように精進してもらいたいと思う。君達よりさきに世に出た先輩として私は衷心ちゅうしんから [17] それを祈っている。

三 要領解説

学校企業もさることながら、非常時下の学生の取締指導は学校当局にのみまかしておくことはその監察の届かざることまことに憂慮にたえないものがある。その届かざるを監察し剔抉てっけつ [18] して現下の非常時局の認識徹底こそ我々の日常勤務において忽緒こっしょに付すべからざる [19] 事象と思うのである。これこそ警察権の限界論を定型より離脱せしめ非常時なるがゆえにでなく国家将来の指導力のためにも力を入れなければならない警察の新しい分野であるからである。ただ学生なるものは世の一般警察犯者とはおよそかけ離れた存在であり、その指導よろしきを得ざれば国家を危殆きたいならしむる [20] という念慮を忘れず常に温情をもって彼等学徒のふところに飛び込み腹の底からの熱意をもって説論すべきであると思う。行政警察規則第三条において

 第三 放蕩淫逸ヲ制止スルコト

とありて明かに警察分野であることは確かである。たとえ警察権の限界論に共鳴させられた者であっても現実の事象をいかんともすることはできない。もはやその旧套きゅうとう [21] から離脱すべきではあるまいか? 従って我々は法的根拠がどうであろうと警察の熱意だにあらば [22] 国家を百年のやすきにおくことは蓋し至難なものではないと [23] 思われるのである。学徒の先輩であるという心持ちで熱と力で後輩の誤りを改めしむる温情味こそ望みたいものである。

四 参照法条

行政警察規則

第三条 その職務ヲ大別シテ四件トス

第一 人民ノ妨害ヲ防護スル事

第二 健康ヲ看護スル事

第三 放蕩淫逸ヲ制止スル事

第四 国法ヲ犯サントスル者ヲ隠密中ニ探索警防スル事

旧字旧仮名版

一 事實

その日授業時間に相當する午前十時頃からカフエー飮食店に立入り帽子をアミダに煙草を咥へ從業婦を相手に卑猥なる談笑に過してゐる某私立大學生三名を臨檢視察に於て發見したるを以つて、授業の有無を訊すに、休講だからと申立てたるを以つて、その情狀學生として放任するに忍びず、派出所に同行の上說諭せんとす。

二 說諭要旨

僕は常に潑剌たる學生諸君が次代國民の指導者を以つて任ずるるものとして尊敬を持つものであるが、今日君達三名の行動を見せられ今將にその尊敬の念が奪はれんとすることを悲しんでゐる。君達の今日の行動は如何なる角度から考へても私には了解が行かぬことだ。とりあげて言ふまでもないが、君達の下宿生活と一步外に出た社會生活とは凡そかけ離れた事象となつて居るであらう。けれども學生には學生としての生活進路がある筈だと思ふ。殊にも日本の學生として生活進路を誤ることがあつたならそれこそ次代國民の思想に大きなヒビが入り、國力の增進の如き到底望み得ない結果を想像しなければならないと思ふ。僕が敢て君達の先輩振つて今日の君達の行動を爲すべきでないと取り上げることも、何も私に他意あるわけではない、國家と云ふものを考へ又常に學生諸君の絕大なる氣魄を期待して居つたからである。

最近多くの學生諸君が暑休、冬休を利用して勤勞奉仕或は心身鍛鍊と全く寧日ない奮鬪に對して私は心から頭が下るものがあつた。それなのに君達のみがその進路を斯ふママした方面に採らなければならなかつたといふことは返す〳〵も殘念でならない。或は君達はその原因を學校當局に歸せんとすることもあるだらう、或は社會施設の責に歸せしめんとすることも考へて居るだらうが、 その邪しまママな進路を求めなければならないことは理窟なしに私は贊成し兼ねるのだ。理窟なしに自らを責めそして再び立上る氣魄こそ必要であると思ふのだ。

學生の進むべき道それは何としても國家の次代を背負ふべき大きな役割を持つて居ることであり、しかも靑年層を代表して嚴格に鍛へあぐべき誇りと義務がある筈だと思ふ。その誇りと義務とを意識してゐないとすればそれは日本の靑年でもなければ學生でもない、一個の手足纏ママになる不具者に等しい存在に過ぎないと私は言ひ度いのだ。

先づ私は休講だから已むを得ないといふ理由に一應答へてやらう。休講にて時間に餘裕あるとしたなら何故圖書館に行かないか? 若し圖書館も滿員なら何故スポーツをやらないか? と…。若し學校の道場が選手のみによつて占領され柔劍道すら出來ないと言ふならそれも考へてあげよう! 私は署長さんにお願して警察の道場を開放して貰つてもよい。我々警察官はそうママした純心淡泊な精神の持主である學生諸君なら大いに溫かい氣持で迎へやうママとして居ることを確約する。多くの學生諸君が折角中學で鍛へた得意のスポーツが私立大學に入つて專門化し選手制に災されて困つて居ることも聞いて居る。そうママした意味では現在の學校制度と言ふこともお互學生が硏究する必要はあると思つてゐるが、兎に角休講だから飮食店にて時間を空費する、脂粉の香に陶然としなければならないといふ理由の發見に苦しむのだ。殊にも酒類の販賣するカフエー等では學生は斷つてある筈である。

自分の金で飮酒することは一般の者には禁じてはゐないが學生なるが故に愼めといふことは今まで私が話をしたことによって判つてくれたことゝ思ふが、而も君達の御兩親はうちの子供は眞面目に通學して居ると思つて居る、だから君達が學資金送れと言へば默つて送金もして來る。それをよいことにして飮食店等で浪費することは何う考へても採るべき途ではあるまいと思ふ。そんなことは國民學校の生ママですら判つて居ることだと思ふ。然し私は少くとも最高學府に學んでゐる君達を國民學校或は中學の不良學生と一所には取扱つてはゐないつもりだが、只君達が異鄕に來て監督者である兩親から開放されたるを幸とし學生として入るべからざる雰圍氣の中に足を入れるといふことが將來を誤る第一步であるといふことを私は言つてゐるのだ。

嘗つては陸軍將官の嚴格な家庭に育つて一心に學業に勵んで居つた君達の先輩も、一度斯樣な雰圍氣の中に不用意にも友人と共に立入つた爲學費に窮しそれが判明して結局は實家からの送金が止まり遂に白晝自分の妹の友人宅に侵ひ入つて空巢を働くに至り事件は裁判所送りとなつた例もある。決してかりそめのことゝ考へてはならないことである。

まことに恐れ多いことであるが靑少年學徒に御下賜あらせられた御勅語の中の「其ノ任實ニ繫リテ汝等靑少年學徒ノ雙肩ニ在リ」といふ御言葉を拜し「陛下の赤子」としての進路を踏み外さないようママに精進して貰ひ度いと思ふ。君達より先きに世に出た先輩として私は衷心からそれを祈つて居る。

三 要領解說

學校企業もママること乍ら、非常時下の學生の取締指導は學校當局にのみ委しておくことはその 監察の屆かざること誠に憂慮に堪えないものがある。その屆かざるを監察し剔抉して現下の非常時局の認識徹底こそ我々の日常勤務に於て忽緖に附すべからざる事象と思ふのである。これこそ警察權の限界論を定型より離脫せしめ非常時なるが故にでなく國家將來の指導力の爲にも力を入れなければならない警察の新しい分野であるからである。只學生なるものは世の一般警察犯者とは凡そかけ離れた存在であり、その指導宜しきを得ざれば國家を危殆ならしむるといふ念慮を忘れず常に溫情を以つて彼等學徒のふところに飛び込み腹の底からの熱意を以つて說論すべきであると思ふ。行政警察規則第三條に於て

 第三 放蕩淫逸ヲ制止スルコト

とありて明かに警察分野であることは確である。假令警察權の限界論に共鳴させられた者であつても現實の事象を如何ともすることは出來ない。最早その舊套から離脫すべきではあるまいか? 從つて我々は法的根據がどうであらうと警察の熱意だにあらば國家を百年の泰きにおくことは蓋し至難なものではないと思はれるのである。學徒の先輩であるといふ心持で熱と力で後輩の誤を改めしむる溫情味こそ望み度いものである。

四 參照法條

行政警察規則

第三條 其職務ヲ大別シテ四件トス

第一 人民ノ妨害ヲ防護スル事

第二 健康ヲ看護スル事

第三 放蕩淫逸ヲ制止スル事

第四 國法ヲ犯サントスル者ヲ隱密中ニ探索警防スル事

脚注
  1. カフェー:当時のカフェーは単に飲食物を出す場ではなく、若い女性の接待を売りにしていたことが多かった。21世紀初頭の感覚からすると、喫茶店というよりはキャバクラを想像した方が良いかもしれない。 []
  2. 帽子をアミダに:帽子をかぶる際に、帽子の前側のつばを高く上げて、帽子が後頭部に行くにつれて下がっていくようなかぶり方のこと。品の悪いかぶりかたとされる。例えば、Togetterの「軍人が制帽を斜めに被るのは素行不良のしるしだった!?「あみだ被りだ」「『素行不良の軍人』に萌える」」という記事にいくつか例が載っている。 []
  3. 次代国民の指導者:当時、大学をはじめとする高等教育機関への進学率が非常に低かった。1935年時点で、高等教育機関在学者が該当年齢人口に占める割合は3.0%に過ぎなかった。(文部省調査局〔編〕.(1962). 『日本の成長と教育:教育の展開と経済の発達』 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad196201/index.html第2章第2節(5)による。)大学生には将来の国家を引っ張る指導的な立場につくことが求められていたのである。 []
  4. 暑休:夏休み。 []
  5. 寧日ない:休むことがない。 []
  6. 鍛えあぐべき:鍛えあげるべき。 []
  7. 手足纏:「足手まとい」に同じ。 []
  8. 不具者:(体の障害などにより)日常生活に困難がある人。 []
  9. 中学:ここでは旧制の中学校のことを指す。基本的に、当時の私立大学生は、小学校→旧制中学校→私立大学予科→私立大学本科という順で進学する。よって、大学(の予科)に入る前は、中学生であった可能性が高い。 []
  10. 脂粉の香:女性の化粧のにおい。 []
  11. 陶然:うっとりとするさま。 []
  12. 国民学校:基本的には現在の小学校に相当。 []
  13. 最高学府:大学のこと。 []
  14. 青少年学徒に御下賜あらせられた御勅語:いわゆる「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」のことを指す。これは、1939年(昭和14年)に昭和天皇から日本の学生・生徒に対して発せられた勅語である。文科省のウェブサイトの『学制百年史 資料編』に「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」の全文」が掲載されている。 []
  15. ノ任実ニつながリテ……:(日本の繁栄を維持するという)その任務はおまえたち青少年の学生・生徒にかかっているのだ。 []
  16. 陛下の赤子:「赤子」は元来あかんぼうのことであるが、ここでは天皇に支配される民のことを指す。 []
  17. 衷心から:心の奥底から。 []
  18. 剔抉:あばき出すこと。 []
  19. 忽緒に付すべからざる:おろそかにしてはならない。 []
  20. その指導よろしきを得ざれば国家を危殆ならしむる:その指導がよろしくなければ、国家を危うくしてしまう。 []
  21. 旧套:古いやり方。 []
  22. 熱意だにあらば:熱意さえあれば。 []
  23. 蓋し至難なものではない:きっと非常に難しいということはない。 []