「上皇后」という称号は中国史の例からすると縁起が悪いと言われるかもしれない

概要
前趙の劉聡は、自らの皇后に「上皇后」という称号を与えたことがある。しかし、「上皇后」となった女性の1人は、淫乱をとがめられた上、最後には自殺するという結末に至っている。

はじめに

退位の件に関して、政府の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が議論を続けている。この議論の中で、今の皇后陛下に対して退位後は「上皇后」という称号にすべきではないかという話が出てきた [1] [2]

この「上皇后」という称号は日本の歴史ではおそらく初めてのことだろう。しかし、実は、中国の歴史において「上皇后」という称号が用いられた例がある。それは、五胡十六国時代の前趙 [3] の皇帝であった劉聡の話である。

前趙における「上皇后」

前趙の皇帝に劉聡(在位:310年–318年)という人がいた。その劉聡が複数の皇后を同時に持ったことがある。そのとき、皇后の1人に「上皇后」という称号を与えた。つまり、ここでの「上皇后」というのは、現役の皇帝の皇后の1人を指すのであって、先代の皇帝の皇后のことを指すものではない。

中国の皇帝の後宮にはたくさんの妻妾がいるものなのだが、皇后は普通は同時に1人しか置かれない。男の世界で皇帝が1人しかいないように、女の世界では皇后が1人しかいないように設定されるのだ [4] 。しかし、劉聡は何を思ったのか、同時に3人の皇后を置いたのだ。

『晋書』の「劉聡載記」には以下のような記述がある。

時聰以其皇后靳氏為上皇后、立貴妃劉氏為左皇后、右貴嬪靳氏為右皇后。

〔訳:そのころ、劉聡は自らの皇后である靳氏を上皇后とし、貴妃である劉氏を取り立てて左皇后とし、右貴嬪である靳氏を右皇后とした。〕

『晋書』「劉聡載記」

ここで、靳氏が2人出てくるのだが、この2人は姉妹である。上皇后となった靳氏は、靳月光という名で、姉である。右皇后となった靳氏は、靳月華という名前で、妹である。

要するに、元々、劉聡には皇后が靳月光しかいなかった。その後、靳月光と劉氏と靳月華の3人を同時に皇后にしたのだ。そして、3人の皇后を区別するためか、それぞれに上皇后、左皇后、右皇后という称号を与えたのだ。

「上皇后」となった靳月光は、容姿は優れていたものの、みだらであったらしい。『晋書』の「劉聡載記」には、次のように書かれている。

其上皇后靳氏有淫穢之行、陳元達奏之。聰廢靳、靳慚恚自殺。靳有殊寵、聰迫於元達之勢、故廢之。既而追念其姿色、深仇元達。

〔訳:劉聡の上皇后である靳氏が淫乱な行いをしたため、陳元達がこのことを劉聡に奏上した。劉聡が靳氏を上皇后でなくしたところ、靳氏は恥じて怒り、自殺した。靳氏は(劉聡に)非常に寵愛されていたのだが、劉聡は陳元達の勢いに押されたために、靳氏を上皇后でなくした。後に(劉聡は)その容姿の美しさを思い起こし、深く陳元達をにくむようになった。〕

『晋書』「劉聡載記」

この故事を考えると、「上皇后」という称号は中国史の例からすると縁起が悪いといわれるかもしれない。

その後、劉聡は、樊氏という女性を「上皇后」としたらしい。当時、皇后という称号が与えられた者のほかに、皇后としての璽綬 [5] を持っていた者が7人もいた [6] というから、かなり乱れていたのだろう。

注意書き

ただし、現代の日本の制度を考えるにあたり、このような過去の事例に過度にこだわる必要はないとも考えられる。現代日本は、君主専制の下にあるのではない。国民主権の民主政治の国家には、それに適したやり方というものがある。上皇后という名が、現代の日本に合っているのであれば、それでも良いだろうということだ。

時代に合わせると言えば、日本で皇后に陛下と付けるようになったのは、近代以降のことである。前近代においては、「皇后陛下」でなく、「皇后殿下」であった。しかし、明治に入り、欧州諸国との交際の必要が生じた。欧州の王室では、国王と王妃が同格の敬称を用いていたため、日本の皇室もそれに合わせる必要が出てきた。このため、「天皇陛下」に合わせて「皇后陛下」にしたのである [7]

このように、時代によって適当な称号というものは変わるわけだから、あまり縁起のことを気にしてもしかたがないのかもしれない。

脚注
  1. 二階堂友紀・大久保貴裕.(2017年4月7日).「「皇太后は未亡人の意味合い」 称号は「上皇后」に」『朝日新聞デジタル』 []
  2. 日本経済新聞.(2017年4月4日).「上皇后か皇太后を検討 退位後の皇后さまの呼称」 []
  3. 劉聡の時代の国号は「漢」であるが、他の漢とまぎらわしいので、ここでは「前趙」としておく。 []
  4. 皇帝の他の妻には、貴妃といった称号が与えられることがあるが、その称号は皇后より格下とされる。 []
  5. 要するに、皇后であることを証明するハンコ。 []
  6. 「劉聡載記」には「時四后之外、佩皇后璽綬者七人」とある。 []
  7. 伊地知正治・宮島誠一郎〔編〕 (1882). 『皇后陛下称号取調』 []