官僚制の弊害
国家のような大規模な組織を運営するにあたって、官僚制は欠くことのできない存在である。官僚制が有効にはたらけば、中央で決定したことを地方に潤滑に伝えることができるし、地方の情報をすばやく中央に集めることができる。もし官僚制がなければ、巨大な組織は氷づけのマンモスのように、ただ大きいだけで何ら動かない存在になってしまうだろう。国家のように巨大な組織をつつがなく動かしていくためには、官僚制が必要なのである。
しかし、一方で官僚制に弊害があることは広く知られていることである。官僚組織が巨大になりすぎて財政を圧迫したり、規則でがんじがらめにして息苦しくなったり、先例にとらわれて新しいことが何もできなくなってしまったりする。こうした官僚制の弊害にどう対処するかは、古くから問題になり続けている。
中国は、こうした官僚制の弊害と最も長くつきあってきた国である。中国という巨大な地域に統治を及ぼすためには、官僚制が必要にして不可欠であった。しかし、このことは、中国の人々が官僚制による弊害を受け続けたということに他ならない。中国は官僚制という有効な装置を使うために、官僚制の弊害という副作用をこうむったのだ。
官僚制の弊害にどう対処するか——このことは、古代から現代に至るまで、中国で最も主要な政治課題であり続けている。弊害を克服するために、中国の人々は多大な努力を重ねてきた。その中には成功したものも失敗したものもあるが、現代のわれわれが官僚制の弊害への対処を考えるとき、中国が歴史上どのように弊害に対処してきたかを見ることは非常に参考になる。
『中国政治論集』という本
今日紹介する『中国政治論集』という本には、中国における官僚制の弊害についての文章がいくつも載っている。官僚制の弊害について考えるときに、この本に載っている文章が役立つだろう。
『中国政治論集』は日本の東洋史学者宮崎市定が編んだ本である。この本は、「王安石から毛沢東まで」という副題にあるように、11世紀の北宋の政治家である王安石の時代から、20世紀の中国共産党の指導者である毛沢東の時代までについて、16本の政治——なかんずく官僚制の問題——に関する文章を収めている [1] 。
王安石から毛沢東までは、前後一千年に及ぶ。このような長い期間をわずか16本の文章で語り尽くすのはなかなか難しいことのはずである。とはいえ、編者は、重要な問題を取り出し、一千年間の中国の政治上の問題を巧みに描くことに成功している。
各文章は、漢文と書き下し文が掲載され、それに編者の宮崎市定による現代語訳と解説が付けられている。ただし、現代語訳と言っても原文に忠実に訳しているわけではなく、大まかな意味が分かるように現代日本語に置き換えているといったところだ。宮崎はこの本の中で、「読者に、一字一字の細かい解釈に拘われずに、文章の論理的構成と、そこから来る全体のリズムの美しさを味わってほしい」(p.435) と述べている。この言葉は王安石が書いた「上皇帝万言書」という文章に対して述べたものだが、この本の他の文章に対しても同じような気持ちで現代語訳と解説を与えているのであろう。
なお、参考までに『中国政治論集』に載っている16本の文章のリストを以下に挙げる。この本では、時代的に新しいものが前の方のページにあり、古いものが後の方のページにあるという構成になっている。
- 林彪:毛主席語録前言 [2]
- 毛沢東:反対自由主義 [3]
- 陳独秀:東西民族根本思想之差異 [4]
- 呉虞:家族制度為専制主義之根拠論 [5]
- 康有為:統籌全局疏 [6]
- 梁啓超:中国之武士道自叙 [7]
- 曾国藩:金陵克復摺 [8]
- 李秀成:李忠王自伝 [9]
- 雍正帝:御製朋党論 [10]
- 李衛:探聴日本動静摺 [11]
- 曹時聘:蘇州民変疏 [12]
- 馬懋才:備陳陝西大飢疏 [13]
- 胡祗遹:論体覆之弊 [14]
- 葉適:監司之害 [15]
- 司馬光:進五規状 [16]
- 王安石:上皇帝万言書 [17]
弊害とその極み
さて、官僚制の弊害の問題に戻ろう。官僚制の弊害にはどのようなものがあるか。『中国政治論集』に載っている文章で、このことについて触れているのは、元の胡祗遹が書いた「論体覆之弊」という文章と、南宋の葉適が書いた「監司之害」という文章である。
胡祗遹の「論体覆之弊」では、官僚機構において文書が過剰にやりとりされていることが問題とされている。当時、上級の官庁が下級の官庁に対して内容をよく確認せよと言い、また上級の官庁が別の下級の官庁に対して内容を確認せよと言い、さらにまた上級の官庁が——といった形で、官僚機構の仕事が非常に煩雑であった。あまりに煩雑なために、行政は遅滞した。また、あまりに煩雑なために、確認すること自体がおざなりになっていった。結局は意味のないことがなされるだけで、無駄がどんどん増えていったのである。このことは、官僚の責任逃れの道具としても用いられた。悪いのは自分でなく、他人であると罪をなすり付けるために使われたのである。文書のやりとりがあまりにも複雑であるために、責任者が誰だか分からなくなっているのである。
現代の日本でも、官庁や企業などで、一枚の文書に係長・課長・次長・部長・局長などが次々にはんこを押していくことで組織の決定を進めていくということがあるだろう。はんこを押した人が、文書の内容をしっかりと理解して責任を持てればまだしも、往々にして文章の内容がしっかりと読まれなかったり、責任逃れの道具として使われることがある。こうしたことが、まさにかつての中国でも問題になっていたのだ。
編者の宮崎市定も、「官僚制度の陥りやすい弊害は、手数が複雑でしかも所在が明らかでないことである」(p.366、強調引用者) と述べている。
葉適の「監司之害」でも官僚制度の弊害が述べられている。この文章で述べられているのは、監司と呼ばれる監督官が本来すべき監督の任を果たせていないということである。そして結局は監司にかかる費用が無駄になってしまっていたのである。
こうした官僚制の弊害が極端なものになると、政治がうまく行われなくなる。そして、政治の失敗により、生活に困窮する人が出てきて、引いては飢饉などで命を落とす人も出てくる。
官僚制の失敗による民衆の苦しみを描いたのが、明の曹時聘の「蘇州民変疏」と、同じく明の馬懋才の「備陳陝西大飢疏」である。
「蘇州民変疏」では、過酷な税金の取り立てにより、蘇州という江南の大都市で生活に困窮した民衆がうちこわし事件を起こしたことが報告されている。
「備陳陝西大飢疏」に描かれている状況はもっと悲惨だ。この文章では、陝西省で日照りのために飢饉が発生したことが報告されている。飢饉で食べるものがなくなると木の皮を食べるようになり、木の皮もなくなると石を食べ出す人も出てくるようになったとのことである。当然、石を食べたら腹を下して死ぬ。石を食べてわずかに飢えをいやして死ぬか、石を食べずに飢えて死ぬかという極限状態にあった。さらには、飢饉の為に人肉を食べる者も出てきたという。官僚制の失敗がもたらした悲劇である。
編者の宮崎市定は、この事態に対し、以下のように鋭く官僚制の問題を批判している。
弊害への対処
今まで見てきたように、官僚制の弊害が極まると、大いなる悲劇に陥ることになる。
とは言え、官僚制がなければ国家のような大規模な組織の運営は難しい。官僚制には弊害があるが、必要不可欠なものでもあり、これをすべて取り除くわけにはいかないのだ。
だから、官僚制の存在を認めつつも、何らかの手段で官僚制の弊害を抑えて、悲劇に陥らないようにする必要がある。
『中国政治論集』には、上に立つものの立場から官僚制の弊害を抑えようとした文章として、中華人民共和国の建国の指導者である毛沢東が書いた「反対自由主義」と清王朝の皇帝の雍正帝が書いた「御製朋党論」が載っている。方や共産主義国家の指導者、方や専制独裁王朝の皇帝という違いはあるが、上に立つものが官僚を戒めている点では同じである。しかも、2人の文章は、官僚が官僚自身の利益を優先することをやめ、公のために奉仕すべきであると述べていることが共通している。
毛沢東の「反対自由主義」という文章での「自由主義」は、「私情によって気ままに仕事をすること」といった程度の意味である。この文章では、中国共産党員が、皇帝政治下の官僚と同様に私情を優先し、公のために奉仕していないことを具体例を挙げて指摘している。
雍正帝の「御製朋党論」でも同様に官僚が自分自身の派閥のことを優先していることを非難している。そして、官僚に対し、公のために奉仕するように述べている。
この2人の文章を読めば、官僚制の弊害が上に立つ者にとってどのような問題があるのかということが理解できるであろう。
上から官僚制を正そうとする者がいれば、下にも官僚制の弊害を解消しようとする者もいる。下から弊害を解消しようと勧めた文章として、清の康有為の「統籌全局疏」、北宋の司馬光の「進五規状」、同じく北宋の王安石の「上皇帝万言書」が挙げられる。これらの文章は、臣下の側から皇帝に対して奉った文章である。
康有為が活躍した時代の清は、日清戦争に敗れるなど、国力が非常に低下していた。こうした状況に対し、どのように対処すべきかということを書いたのが「統籌全局疏」である。この文章では、当時の清国の官僚機構が改革を達成できる構造になっていないことに触れ、明治維新に成功した日本を参考にして、改革が達成できる新しい機構を作るべきであるとしている。康有為の献策は時の皇帝である光緒帝に採用されるところになったが、守旧派の反発などもあって失敗した。ただ、守旧派の反発がなかったところで、清の命脈はあまり長くなかったかもしれない。すでに清に付けられた傷は深かったためである。
弊害を避けるために改革を行うのは、弊害がまだ顕在化していない時期にすべきである——司馬光の「進五規状」はそんなことを書いた文章である。司馬光がこの文章を書いた時代の北宋王朝は、周辺諸国の軍事的圧迫を受けていたとはいえ、必ずしも衰退していたというわけではなかった。しかし、そういった時期にこそ、遠い将来のことを考え、国が衰退しないように慎み深く統治をすべきだというのが、司馬光の主張である。
司馬光のライバルに当たる王安石は「上皇帝万言書」という文章で政治上の問題点について扱っている。王安石の述べていることはさまざまなことにわたるが、うまく官僚を選抜できていないことが王安石の主張の中で重要な内容である。編者の宮崎市定も、王安石の文章への解説の最後の方に、以下のように記している。
このことは、現代の官僚制の問題を考えるときにも有用ではないだろうか。
まとめ
以上で述べてきたように、『中国政治論集』には官僚制の弊害に関する文章がいくつも載っている。現代の官僚制の弊害について考えるときに参考になるところも少なくないだろう。
また、官僚制の問題以外についても、中国人の意識を理解する際に参考になるであろう文章が載っているので、その意味でも勉強になるかと思う。例えば、李衛の「探聴日本動静摺」は伝統中国において日本がどう捉えられてきたのかを見るときの好例だろう。
なお、『中国政治論集』には、王安石や司馬光のような伝統的な漢文で書かれた文章から、陳独秀のように近代語が含まれた漢文、李秀成の稚拙な漢文、そして林彪・毛沢東が書いた現代中国語による文章が含まれている。この本を見れば、漢文が多様なものであるということを知ることができるだろう。
- 16本の全部が官僚制に関する文章であるというわけではなく、官僚制とは特に関係のない文章も収録されている。とはいえ、編者の関心はこの本の「序説」に書かれているように官僚制の問題にあることは明らかである。 [↩]
- 毛沢東時代に人民教化のために用いられた『毛主席語録』に付された序言であり、毛沢東の偉大さを記した文章である。 [↩]
- 共産党員が私情などによって集団の利益にならないことをしていることを批判した文章である。 [↩]
- 20世紀はじめの中国が欧米列強に圧迫されていたことに対し、中国を含む東洋の風俗がこのような結果をもたらしたと述べ、中国の伝統的な思想を批判している文章である。 [↩]
- 儒教が家族制度をもって専制支配の原理としてきたと述べ、こうした儒教の教えからは慣れるべきだとしている文章である。 [↩]
- 国力が低下した清王朝にあって、どうすれば改革が出来るかを皇帝に対して提言した文章である。 [↩]
- 中国にもかつて武士道に相当する者があったが、それが失われたために外国の圧迫を受けるようになったと述べた文章である。 [↩]
- 太平天国の乱で、反乱軍に対して勝利した曾国藩が南京攻略戦について報告した文章である。 [↩]
- 太平天国の乱で、反乱軍に属していた李秀成が、曾国藩に対して反乱軍を降伏させるために働きたいなどと述べた文章である。 [↩]
- 官僚が派閥の利益を優先しないように戒めた文章である。 [↩]
- 清朝の地方長官が皇帝に対して報告した文章で、日本に対する海上防衛について議論している。 [↩]
- 江南の大都市である蘇州で起きた民衆のうちこわし事件に関する報告文である。 [↩]
- 陝西省で起きた過酷な飢饉に関する報告文である。 [↩]
- 官僚制度の煩雑さに関する問題点を述べた文章である。 [↩]
- 無駄となっている監督官の弊害を述べた文章である。 [↩]
- 皇帝に対して、政治をするときに注意すべき点を挙げた文章である。 [↩]
- 皇帝に対して、現状の政治の問題点を挙げた文章である。 [↩]
- Wikimedia Commonsのパブリックドメイン画像を使用。 [↩]
- Wikimedia Commonsのパブリックドメイン画像を使用。 [↩]