同時代資料としての甲骨文字の使用
殷は、中国史上、存在が明らかになっている王朝の中で最も古い王朝である。かつては殷王朝の同時代資料が残されておらず、殷王朝について知るには、後世の資料に頼るしかなかった。しかし、20世紀以降、殷王朝の遺跡の発掘が進み、その過程で甲骨文字という漢字の原型となった文字で書かれた記録が大量に発見された。このことにより、殷王朝の歴史を同時代資料を用いて描写することができるようになったのである。
この記事で紹介する『殷——中国史最古の王朝』という本は、甲骨文字で残された記録を同時代資料として用いて、殷王朝の歴史を描いた一般向けの新書である。
- 落合敦思.(2015).『殷——中国史最古の王朝』東京:中央公論新社.
この本は、『尚書』や『史記』といった後世の文献に記述された殷王朝についての内容を排除し、あくまでも甲骨文字で残された同時代の記録から殷王朝を描こうとしている。さらに、考古学上の発見から自らの歴史描写を裏付けようとしている。一般に、後世の文献よりも同時代の資料の方が歴史を語る際には重要な根拠となる。その意味で、甲骨文字での記録を重視した著者の立場はまっとうなものであると言えよう。
構成
『殷——中国史最古の王朝』では、殷代を以下のように時期区分し、時期ごとに順を追って説明している。
- 前期:紀元前16世紀から紀元前14世紀(第1章前半)
- 中期:紀元前14世紀から紀元前13世紀(第1章後半)
- 複数の王統が存在し、勢力分立状態になる。
- 後期:紀元前13世紀から紀元前11世紀
- 中興期(第4章)
- 武丁という王が中期の分立状態を収束させ、再統一を果たす。後期の王は武丁・祖己・祖庚・祖甲・康丁・武乙・文武丁・帝辛の8人。
- 武丁はカリスマ的支配を実施。
- 占卜の改竄をして、占卜が当たったように見せて神秘性を高める。
- 地方領主との間に擬制的な親族関係を結ぶ。甲骨文に見える「子某」という表現は武丁の代に用いられたもので、武丁の親族男性の呼称として用いられただけでなく、親族に擬した地方領主の呼称にも用いられた。
- 武丁は周辺地域の敵対勢力とたびたび戦って、敵対勢力を弱めることに成功。
- 武丁はカリスマ的支配を実施。
- 武丁という王が中期の分立状態を収束させ、再統一を果たす。後期の王は武丁・祖己・祖庚・祖甲・康丁・武乙・文武丁・帝辛の8人。
- 安定期(第5章)
- 祖己・祖庚・祖甲の時代は戦争が少なく、安定。
- 動揺期(第6章)
- 康丁・武乙の時代は、各地で戦争が発生し、支配体制の揺らぎが見られる。
- その後の文武丁は集権化を進め、各地の敵対勢力に勝利。
- 帝辛の時代は集権化が続けられるも、反乱によって国力が低下し、周に滅ぼされる。
- 中興期(第4章)
なお、第2章には後期の殷王朝の支配体制について、第3章には後期の殷王朝の祭祀についてまとめられている。