映画『日本のいちばん長い日』(2015年)の散漫な主題

概要
ポツダム宣言受諾について描いた2015年の映画『日本のいちばん長い日』は、扱おうとしている内容が多く、主題が散漫なものとなっており、あまり良い映画とはいえない。

はじめに

日本のいちばん長い日』(原田眞人監督、2015年公開)という映画を見てきた。この映画は半藤一利のノンフィクション書籍『日本のいちばん長い日』を原作としたもので、1945年のポツダム宣言受諾と宮城事件 [1] について、政府および陸軍の状況を描いたものである [2] 。『日本のいちばん長い日』は1967年に岡本喜八監督により映画化されたことがあり、ここで紹介する2015年の原田監督の映画はリメイクということになる。

正直なところ、この映画は内容が散漫としており、あまり良い映画ではなかった。終戦という複雑なことについて、様々な要素を1本の映画にむりやりつめこもうとしたために、散漫になってしまったというのが私の見立てだ。

複数の主人公

2015年の映画『日本のいちばん長い日』は、3人の主人公がいる映画である。終戦時の内閣総理大臣であった鈴木貫太郎(山﨑努)、陸軍大臣であった阿南惟幾(役所広司)、そしてあくまでも戦争継続を叫ぶ陸軍少佐の畑中健二(松坂桃李)の3人である [3] 。物語は、この3人を中心として進められていく。ただし、鈴木首相は鈴木首相で物語を進めていくし、阿南陸相は阿南陸相で物語を進め、畑中少佐は畑中少佐で自分の物語を展開していく。鈴木首相と阿南陸相は同じ内閣の一員として絡むところが少なくないが、畑中少佐はほとんど絡まない。史実をもとにした作品であるから仕方がないとは言え、1つの作品の中に複数の物語があるということになり、136分という上映時間の中では消化不良におちいってしまうと言わざるをえない。

また、鈴木首相と阿南陸相についてはポツダム宣言受諾に関わる公的な側面と、家族との関わりという私的な側面の両方が描かれていた。終戦という重大な決定に関わった2人にも家庭があるということを描きたかったのだろうが、公私両面を入れることによって、物語にさらに多くの要素をつめこむことになってしまっている。

はっきりしない主題

結局のところ、この作品が主題として何を描きたいのか分からないのである。海軍軍人でもある鈴木首相と阿南陸相との対比を描きたかったのか、ポツダム宣言受諾の聖断が下った後に従容として自死した阿南陸相とあくまでも戦争を継続しようとあがいた畑中少佐との対比を描きたかったのか、鈴木貫太郎の首相としての公務と家庭人としての生活との対比を描きたかったのかはっきりしないのである。

このようなわけで、内容が散漫なものとなってしまい、あまり良い映画にならなかったのであろう。

この映画に比べると、終戦前後の日本を描いたロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督による『太陽』はずっと成功している。『太陽』は昭和天皇という一個人に着目することで、まとまったストーリーを描くことができている。天皇という常に公的な存在を、香淳皇后といった家族にも触れつつ、時にはややコミカルに描くことで、対比を明確にして主題を分かりやすくしているのだ。『太陽』のように明確に主題をしぼったとしたら、『日本のいちばん長い日』ももう少しまとまりの良い作品になったと思う。

魅力的な脇役

全体として散漫としている問題はあるものの、この映画の脇役は魅力的であった。

陸軍第一で狂気じみたところのある陸軍大将の東条英機(中嶋しゅう)、ひたすら遺書の話をしている情報局総裁の下村宏(久保酎吉)、やたらととぼけた感じで話がころころ変わる枢密院議長の平沼騏一郎(金内喜久夫)、そして君主としての務めを懸命に果たそうとしながらも外来植物を見つけるとそれを引き抜いて駆除しようとする昭和天皇(本木雅弘)——こうした脇役が物語をうまくいろどっている。

だが、脇役がいくら魅力的だといっても、主題がぶれていては、前菜だけ美味しくて肝心のメインディッシュがだめな料理のようなものである。せっかく魅力的に脇役を描けていたのに、主題が散漫としていたことが残念でならない。

脚注
  1. 戦争を継続するために、1945年8月14日から15日にかけて、陸軍の一部将校が中心となって宮城(皇居)で起こしたクーデター未遂事件。 []
  2. 半藤一利の原作『日本のいちばん長い日』は1945年8月14日の正午から翌15日正午までの24時間を集中的に描き、その24時間を「日本のいちばん長い日」と呼んでいる。2015年の原田監督の映画は、鈴木貫太郎が首相になる4月から8月15日正午までを長く描いている。 []
  3. あまつさえ、この映画の英語タイトルは、The Emperor in August(八月の天皇)である。この英語タイトルからすると、昭和天皇が主人公のように見えるが、昭和天皇はこの映画の中でそれほど中心的な役回りを果たすわけではない。 []