はじめに
毎年8月15日には日本武道館において全国戦没者追悼式が行われ、天皇陛下がおことばを述べられる。ここでは、このおことばの構造がどうなっているのか、そして平成に入ってからの27年間でどのように変わってきたのかについて見てみたいと思う。なお、構造分析の対象としたおことばの文面は宮内庁ウェブサイトに載っているものを使用した。
おことばの基本構造
平成に入ってからの全国戦没者追悼式における天皇陛下のおことばは、3つの段落から成り立っている。この3つの段落が、全国戦没者追悼式におけるおことばの基本構造と言えよう。
- 戦没者に対する悲しみの表明
- 今日の平和と繁栄の表明と感慨
- 戦没者の追悼と世界の平和と日本の発展の祈念
表現に微妙な違いがあったり、あるいはおことばに要素が追加されたりすることはあるものの、この基本構造は27年間変わっていない。
おことばの変遷
先ほど、おことばの基本構造は変わっていないと述べたが、27年分のおことばがずっと同じものであったわけではない。平成に入ってからの27年分のおことばを見ると、2つの転換点がある。それは、戦後50年に当たる1995年(平成7年)と、戦後70年に当たる2015年(平成27年)である。1995年には、戦争の惨禍を再び繰り返されないことを願うという要素が追加された。そして、2015年には各種の要素が付け加えられ、27年間で最も長いおことばになった。
1989年~1994年:基本構造の確立と表現の模索
先に述べたように、全国戦没者追悼式におけるおことばは以下の3つの段落から構成されている。
- 戦没者に対する悲しみの表明
- 今日の平和と繁栄の表明と感慨
- 戦没者の追悼と世界の平和と日本の発展の祈念
一例として、平成に入って最初の1989年(平成元年)の全国戦没者追悼式での天皇陛下のおことばを見てみよう。
このおことばの基本構造は以降も引き継がれるが、年によって細かい表現が変わることがある。
例えば、先に挙げた1989年のおことばでは「尊い命を失った」となっているところは、1993年まで同じ表現が使われていたが、1994年のおことばで「かけがえのない命を失った」に変わった。この部分は、1995年・1996年には「尊い命を失った」に戻り、さらに1997年には再び「かけがえのない命を失った」になった。さらに1998年には「尊い命を失った」、1999年には「かけがえのない命を失った」、2000年には「尊い命を失った」と年ごとに変わり、2001年以降、「かけがえのない命を失った」で固定化する。
また、1989年のおことばで「感慨は誠につきるところを知りません」となっているところは、年ごとに微妙に表現が変わっている。ただし、後で説明するように、2001年から2014年までの間は、おことばが固定化され、表現が変わることはなかった。
- 1989年:感慨は誠につきるところを知りません。
- 1990年:感慨は誠につきることがありません。
- 1991年:深い感慨を禁じ得ません。
- 1992年:深い感慨を禁ずることができません。
- 1993年:感慨はつきることがありません。
- 1994年:深い感慨を禁じ得ません。
- 1995年:感慨は誠に尽きるところを知りません。
- 1996年:改めて感慨を禁じ得ません。
- 1997年:感慨は尽きることがありません。
- 1998年:深い感慨を覚えます。
- 1999年:深い感慨を禁じ得ません。
- 2000年:感慨は尽きることがありません。
- 2001年~2014年:感慨は今なお尽きることがありません。
- 2015年:感慨は誠に尽きることがありません。
このように、年ごとに表現が微妙に変わったのは、基本構造の枠の中で、どうすればお気持ちをより良く伝えることができるのか表現を模索した結果であるのかもしれない。こうした表現の模索は10年以上続き、2001年のおことばで模索が終息する。
1995年:戦争の惨禍を繰り返さない願い
戦後50年に当たる1995年(平成7年)に、おことばに新しい要素が入ることになる。それは、「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」という文言である。実際のおことばの文章を以下に引用する。
この文言が入ったのは、おことばの第三段落である。おことばの第三段落では、もともと (1) 戦没者の追悼、(2) 世界の平和と日本の発展の祈念という2つの要素があるのみであった。ここに3番目の要素として、(3) 戦争の惨禍を繰り返さない願いが加わったのである。
1995年より前のおことばでは、表現については細かな変更があったものの、実質的内容に変更はなかった。それが、1995年のおことばで、はじめて実質的内容に変更が生じたのである。
この戦争の惨禍を繰り返さない願いに触れることは、1996年以降のおことばでも引き継がれ、以後定例となっている。
2001~2014年:おことばの固定化
2001年から2014年までの14年分のおことばは、文言がほとんど同じものとなっている。「終戦以来既に○○年」という部分だけ毎年1年ずつ増える違いがあるだけで、それ以外に違いはない。つまり、おことばは基本構造のみならず、表現についても固定化されたのである。2001年のおことばを見てみよう。
このおことばは、2014年まで用いられ続けることになる。
2015年:大きな転換
戦後70年に当たる2015年(平成27年)に、おことばに大きな転換が起きた [1] 。3つの段落から成り立つおことばの基本構造は変わらないものの、固定化されたおことばをそのまま利用するのではなく、新たな要素が加わったのだ。
「戦没者に対する深い悲しみを新たにする」ことを示すおことばの第一段落は、前年までのおことばと内容面では変わっていない。具体的な変化があったのは第二段落と第三段落である。
第二段落においては、日本国民の戦後により重点が置かれた内容になった。第三段落においては「さきの大戦に対する深い反省」という内容が加わった。
なお、実際にどう変わったかを見るための参考として、2015年のおことばを以下に引用しておこう。
平和の存続を切望する国民の意識と戦後への思い
戦没者追悼式におけるおことばの第二段落では、例年、国民の努力により平和と繁栄が築き上げられたものの、往時への感慨は尽きないといった内容が示されている。2015年のおことばでも、この記帳に変化はないが、日本国民の戦後により重点が置かれたものになっている。
まず、過去のおことばでは単に「国民のたゆみない努力」とあるのみであったのに対し、2015年のおことばでは「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力」と、努力の内容が具体的に描写されている。
さらに、過去のおことばでは国民のたゆみない努力により今日の平和と繁栄が築かれたと描写しているのに対し、2015年のおことばでは国民のたゆみない努力に加えて、「平和の存続を切望する国民の意識」によって今日の平和と繁栄が築かれたとされた。要するに、平和を希求する国民意識が存在するからこそ、現在の日本は平和で繁栄しているということが主張として明確化されたわけである。
続けて、過去のおことばでの「苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」という文言が、2015年のおことばで「戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません」という文言に変わった。「往時」というのは要するに「昔」のことであり、「苦難に満ちた往時」と言えば、戦没者追悼式という文脈においては、国民が生活に苦しんだ戦中のことがまず想起されるだろう。あるいは「苦難に満ちた往時」に戦後の混乱期が含まれるかもしれない。しかし、それはせいぜい戦後の10年程度を指すものであろう。つまり、過去のおことばで「苦難に満ちた往時」というのは、時間的に限定された過去の話をしていることになる。しかし、2015年のおことばでは、明確に「戦後」と述べて、戦中のことは明示されていない。しかも、「戦後という、この長い期間」と述べることで、ここでの「戦後」は戦後の混乱期だけではなく、終戦以降70年の現在に至るまでの期間を指していることが想定される。
つまり、戦中や戦後の混乱期といった過去の一時期に重点を置くのではなく、現在をも含む長い戦後の歩みに重点を置いているのである。
また、過去のおことばにおいては、2001年のおことばに「国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」(強調引用者)とあるように、「が」によって、平和と繁栄が築き上げられた現在と苦難に満ちた過去が対比されている。これに対し、2015年のおことばでは、対比を用いることがなく、「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません」のように現在を含む戦後が並列的に挙げられている。つまり、過去のおことばでの感慨は、現在と過去の対比の中に生じたものであった。これに対して、2015年のおことばでの感慨は、現在も含む戦後の歩みの中に生じたものなのである。
現在も含む戦後に重点を置くようになったのは、平和の存続を切望する国民の意識についての文言が加わったことと深く関わっていると考えられる。戦災からの復興は、一大事業であったとは言え、ある意味で一過性のものである。これに対して、平和の存続を願うことは永遠に続きうることである。このことを考えると、長い戦後の歩みに重点を置いた方がしっくりくる。
このようにおことばが変わった理由は明確には分からない。だが、戦後70年を経て、戦争を直接体験した人々がますます減る中、戦後生まれの国民にも戦争を避け、平和を維持する意識を持たせようとしたためにこうしたおことばにしたのではないかと私は思う。従来のおことばでは、現在と過去を対比することによって過去の惨禍を強調することはできたものの、対比によって現在と過去が切り離されるおそれがあった。2015年のおことばでは、対比をなくし、戦後の長い歩みに重点を置いて、戦後生まれの人々であっても、戦争の惨禍を経験した人々と同様に平和を希求しうるということをはっきりさせたのではないだろうか。
さきの大戦に対する深い反省
さて、2015年の戦没者追悼式におけるおことばの第三段落では、「さきの大戦に対する深い反省と共に」(強調引用者)という言葉が加わった。1995年のおことば以降、「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」という文言があったのだが、これが2015年のおことばでは「過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」という文言になった。ここにはさきの大戦にどう向き合うかという意図が含まれているのであろう。
また、ささいなことかもしれないが、それまでは「歴史」を顧みていたのが、2015年には「過去」を顧みるようになった。こう変更した理由は良く分からないが、もしかしたら第二段落で「往時」という言葉を使わなくなった代償としてここで「過去」を持ってきたのかもしれない。
まとめ
今までに見てきたことをまとめよう。
- 平成に入ってからの全国戦没者追悼式における天皇陛下のおことばの基本構造は、不変であり、以下の三要素から成り立っている。
- 戦没者に対する悲しみの表明
- 今日の平和と繁栄の表明と感慨
- 戦没者の追悼と世界の平和と日本の発展の祈念
- 表現の面では、平成に入ってから10年以上、模索が続いた。しかし、2001年のおことばが定式となり、2014年まで表現の面でもおことばが固定化した。
- 1995年以降、戦争の惨禍を繰り返さない願いが、おことばに含まれるようになった。
- 2015年のおことばでは、今までのおことばに比べ、内容面で大きく転換した。具体的には、平和の存続を切望する国民の意識に触れて、現在に至る戦後に重点を置きつつ、さきの大戦に対する深い反省も含まれるようになった。
補遺:おことばの表現の微細な変更
今までの文章で述べきれなかった、おことばの中で表現が微細に変更されている箇所について紹介しよう。
- 例年、おことばの第一段落は「深い悲しみを新たにいたします」で締めているが、1992年(平成4年)・1994年(平成6年)に限っては、「つきることのない悲しみを覚えます」で締めている。
- 1991年(平成3年)以降のおことばの第三段落では、戦没者に対して追悼した後に、世界の平和と日本の発展を祈念しているが、1989年(平成元年)・1990年(平成2年)については世界の平和と日本の発展を祈念した後に、戦没者を追悼している。
- 2015年の全国戦没者追悼式の中継を見たところ、天皇陛下がおことばを本来のタイミングより早く述べられようとしたり、おことばを述べられている際に途中で言葉を噛まれる状況があった。もしかしたら、おことばに大きな転換が加えられたことによる心理的負荷によって発生したのかもしれない。 [↩]