はじめに
中国は長らく皇帝が統治を行う国家であった。王朝はしばしば代わるものの、皇帝が政治の中心となるということは古来不変であった。しかし、1912年に清朝最後の皇帝である宣統帝(愛新覚羅溥儀)が退位し、中華世界から皇帝はいなくなり [1] 、皇帝による政治は消滅した。
中国での皇帝による政治が終わってから73年後、中国の片田舎である男が皇帝として即位したという。この男の名を曾応竜という。彼は漢の武帝 [2] 、唐の太宗 [3] 、清の乾隆帝 [4] のように広大な範囲を支配したわけではない。彼が支配したのは、片田舎のごくわずかな土地で、それもごくわずかな期間であった。
中国語圏のいくつかのインターネットフォーラムで、この「皇帝」についての話が流布している。曾応竜は1985年に皇帝として即位したという。曾が建てた国の名前は「大有」であり、四川省の片田舎にあったという。県の政府を襲撃したが、中国政府により鎮圧され、曾は刑務所に収監されたという。そして、刑務所の中にいる曾を取材した記録と称するものも出回っている。今、この取材記録をもとに、政治というものを考えてみたい。なお、取材記録の原文が読みたければ『百度百科』の「曾応竜」という項目を参照のこと。
あらかじめ言っておくと、ここで取り扱う取材記録は創作されたものである可能性がある。そもそも曾応竜という人物の存在すら創作されたものであるかもしれない。とは言え、この「取材記録」を一種の政治風刺文として読むならば、フィクションであるかどうかは大して問題にはならない。事実を伝える文でないとしても、この「取材記録」には中国における政治のありさまがよく反映されており、中国の政治を理解する際の一つの助けにはなるだろう。
なお、実際にはありえないようなフィクションを語ることによって、実は政府批判をするということは、中国の知識人が伝統的によくやってきたことである。だからこの取材記録は、「曾応竜が突然皇帝と称したのは狂人の所行というべきだが、共産党政権が皇帝のごとく君臨することと何が違うのか?」と暗示しているとも考えられる。
ところで、中国語がわからないと伝わりにくいのだが、この取材記録で、「皇帝」の曾応竜は文語文を多用している。文語文を用いることで、古くささを表しているのだろう。これに対して、インタビュアーである記者の方は、口語文で話しており、時にかなりくだけた口調で話している。このギャップが面白いのだ。
皇帝は推戴されてなる
皇帝になりたい場合、いきなり「ぼくは今日から皇帝になります!」と一人で宣言しても良いのだが、それではあまりにも説得力がない。周りの誰もが皇帝とは思ってくれないだろう。周りの人に皇帝だと認めてもらうには、もう少し賢い方法をとる必要がある。幸い、中国には長い歴史で培われてきた伝統というものがあって、それをこなせば皇帝と認められる可能性が若干高くなる。
具体的には、徳のある人物であるとみなされれば、皇帝と認められる可能性が出てくる。これとは別に、少なくとも一地方をしっかりと支配して、実質的な政治権力を持っているということも重要だが、それはそれでハードルが高いので、ここでは無視する事にしよう。
皇帝は有徳者である必要がある
中国の伝統によれば、皇帝は徳をもって統治を行うことが期待されている。よって、皇帝は徳がある人物でなくてはならない。そして、観念的には、天が徳のある人物を選び、その人を皇帝にして天下を支配させるということになる。とは言え、天というものは抽象的な存在であるから、直接「この者を皇帝にせよ」と語ることはできない。
その代わりに、天は通常では起こりえないような現象を起こすことで、皇帝とすべき人物を選ぶとされている。例えば、王莽が漢王朝から帝位を奪う前に、「王莽を皇帝にせよ」と書かれた白い石が出てきている。これはもちろん誰かが捏造したものに違いない。だが、帝位を奪う側からすれば、天が王莽が徳のある人物だと認めて、このような石を出したのだと解釈することも可能である。
このことを踏まえて、曾応竜が皇帝となった経緯を見てみよう。以下は、曾への取材の冒頭部分である。
本来ならば、サンショウウオが人間の言葉を話すわけがない。また、人手によらず文字が記されるわけがない。それでは、観音岩のサンショウウオは天が起こした奇跡なのだろうか。
作られた瑞祥
天がそんな奇跡を起こすわけはない。誰かが人手でやったに決まっている。
実際にはこうした瑞祥 [8] は「起こる」ものではなく、「起こす」ものである。サンショウウオの腹に「大有」という字が刻まれるということは、人手を加えずに自然に生じるわけがない。つまり、瑞祥は捏造されるものなのだ。
子供たちが歌を歌うというのも注目すべきポイントである。子供は純真で、大して知識を持たない。その分、自然に近い。要するに、何も教えられていない子供が自然と歌うようになったということは、天意を反映していると言えるのだ。
また、瑞祥を起こすだけでなく、こじつけるという手もある。例えば、漢代に役所のことを「曹」といった。現代日本語で、裁判官や弁護士のことを「法曹」と言うのはその名残である。後に、曹丕が漢から帝位を奪い、魏を建国した。その際に、「漢代に役所のことを『曹』と呼んだのは、曹氏が皇帝になるということを予言していたのだ」とこじつけることになる。
曾応竜の場合も同様なこじつけが見られる。曾応竜自身の言によれば、彼自身は当初はサンショウウオの話を知らなかったそうである。彼は故郷を離れて妻子を連れて河南省の新郷に住んでいた。ここに風水師の馬興がやってくる。そして、先ほどの「偽の竜は沈み、真の竜が昇る、河の南、太平が降る」というわらべ歌をうまくこじつけることになる。このことに関する曾応竜の言を引こう。
竜は皇帝の象徴である。だから、「真の竜」 [10] というのは正統に天下を支配すべき皇帝を指すことになる。これが「竜に応じる」という曾応竜と符合しているというのだ。
また、「河南」や「新郷」といった地名も、上記の引用で触れられているように、皇帝即位を正当化するためにこじつけられる。なお、伝統的には、皇帝は北に座って南を向いて政治を行うものとされており、「南面」(=南を向く)というだけで「政治を行う」や「君主となる」といった意味になる。
人々からの求め
皇帝になるためには、人々からぜひその人に皇帝になってもらいたいと言われることが重要である。つまり、その人の徳を慕った人々が皇帝に推薦するという形をとることが大事になってくる。いわゆる「群臣からの推戴」という形を装うのだ。実際には皇帝になりたくてしかたがなくても、自分から言い出してはならない。他人から推薦されることが大事なのだ。
なお、人々から皇帝になるように求められたとしても、一旦辞退をするのがマナーである。「おれは絶対に皇帝になりたい」と権力欲をギラギラさせている人間でも、謙遜して皇帝になることを辞退する。端から見ると茶番なのだが、徳がある人間だと見せつけるには仕方がないことなのだ。
その後、また皇帝になってほしいと言われるので、「別におれは皇帝になりたくないんだけどな、みんながどうしてもと言うなら、仕方ないな。みんなが皇帝になれと言っているんだから、それを無視するのも悪いと思うんだよね。本当は皇帝なんかなりたくないんだけど、悪いからな。おれが皇帝になるとか能力的に絶対無理だけど、みんなの思いをむげにするわけにはいかないものな。仕方ないな。」とか言って皇帝に即位する [11] 。
曾応竜の場合はどうだったのだろうか。曾応竜は以下のように語っている。
竜袍は皇帝のみが着ることが許された龍のあしらわれた衣服のことである。皇帝しか着られない服を着せることで、「あなたを皇帝にしたい」という意志を示しているわけだ。かつて、趙匡胤(後の宋の太祖)が部下に着せられたという故事がある。「万歳」は皇帝をたたえる言葉。なお、新王朝を建てる時は新しい元号を定めることが不可欠である。皇帝は元号を定めることで、時間をみずから区分し、時間をも支配するのだ。
産児制限と建国の理念
ところで、「大有」という国号は何を意味しているのだろうか。曾応竜は以下のように語っている。
この国号に曾応竜が皇帝がなぜ皇帝を称するに至ったかの原因の一端が表れている。中国では人口増大を防ぐためにきわめて厳しい産児制限 [12] を行っている。いわゆる一人っ子政策だ。曾応竜が皇帝を名乗った1985年にもこの政策は実施されていた。
曾応竜は自身が即位する前の村の状況として、以下のように語っている。
産児制限があまりにひどく、村の幹部がたびたび医者を連れて、一軒一軒産み過ぎた子供がいないかを調べ、出てきたら罰金を要求した。
このようなやり方に対し、曾応竜の住む地域の人々は反発を抱いていた。
中国という広大な国家においては、地域によって実情が全く異なる。しかし、政府は往々にして全土で同じようなことをしようとするから、地域の実情に合わず摩擦が発生することが起きる。こうした摩擦が激化すると反乱が起きることすらある。それで、ここでは皇帝即位という時代錯誤的な「反乱」が起きたのである。
ところで、先ほど、曾の取材記録の中から、人の言葉を話すサンショウウオを紹介した。サンショウウオは中国語で言うと“娃娃魚” (wáwayú) になる。“娃娃”は赤ちゃんという意味。だから、サンショウウオは「赤ちゃん魚」という意味になる。「赤ちゃん魚」を意味するサンショウウオが瑞祥をもたらすというのは、産児制限への反発という大有国の理念に合致していると言えよう。
そして、曾応竜は産児制限を撤廃し、子供をたくさんもうけることを奨励する。
これだけでなく、曾応竜は産児制限実施の片棒を担いでいた病院を襲撃する。
ちなみに、この病院にいた女性看護師を皇帝の後宮にいれたとのことだ。
滅亡
その後、曾応竜の大有国は軍に攻撃され、あっさりと崩壊した。馬太尉と牛宰相は豆をまいてその豆を兵士にする術が使えるという設定だったのだが、術を使おうとした時に銃撃されたため、術は使えなかった。
そして、曾応竜は逮捕され、収監されることとなった。
- 厳密に言えば、1917年に政変により溥儀が再び皇帝となった(復辟)が、十数日で位を追われた。また溥儀は1934年から日本の傀儡として満州国の皇帝となり、第二次世界大戦が終結する1945年まで帝位にあった。ただ、いずれも有名無実であったと言えよう。 [↩]
- 漢の武帝(在位:紀元前141年~紀元前87年)は漢の7代目の皇帝である。漢は北方の騎馬民族である匈奴に対して劣勢にあったが、武帝は軍を派遣して匈奴を攻撃し、その力を削いだ。この他、各地に征服軍を送り、漢の領域を大いに拡げた。 [↩]
- 唐の太宗(在位:626年~649年)は唐の2代目の皇帝である。各地の群雄を倒して、中国を統一し、さらに北方遊牧民族も征服した。 [↩]
- 清の乾隆帝(在位:1735年~1795年)は、清の6代目の皇帝である。十回の外征を行い、清朝の支配領域は極めて広くなった。 [↩]
- 「朕」とは皇帝が自らのことを指すときに使う一人称代名詞である。 [↩]
- 現代中国の一尺は3分の1メートルなので、三尺はちょうど1メートルということになる。 [↩]
- 玉皇大帝は、道教における最高神で、天を代表する神と言ってよい。玉皇大帝からの命令が下ったということは天が命じたということを意味することになる。 [↩]
- 瑞祥とはめでたいきざしのことを指す。 [↩]
- Flickrより、Randy OHC氏によるCC BY 2.0画像を使用 [↩]
- 「真の竜」と対比されている「偽の竜」というのは暗に中国共産党を指している可能性がある。「偽の竜」(=正統でない支配者)による統治がよろしくないため、「真の竜」(=正統な支配者)が統治すべきだという考えが隠されているのだ。 [↩]
- ちなみに推戴と辞退を何度も繰り返すこともある。こうすればより謙遜していることをアピールできる。 [↩]
- 中国語では、“计划生育” (jìhuà shēngyù) と呼ばれる。 [↩]
- この「取材記録」に名前が出てくる臣下は、牛大全と馬興の2人である。牛は「宰相」であり、馬は軍事を司る大臣の「太尉」であった。この2人の臣下の姓が「牛」と「馬」であることに、この「取材記録」のフィクションらしさがある。「牛」も「馬」も中国人にはよくある姓ではあるが、牛馬という主要な家畜の名前を連想させる人物が帝国の高官であるというのはできすぎた話である。 [↩]
- 誥命夫人は旧中国において、女性に与えられた爵位のようなもので、高官の母親や妻などに与えられた。要するに、現代の普通の国家であれば勲章を与えるようなところであるのに対し、中国の伝統的な帝国の流儀によって表彰しようとしたのである。 [↩]
- 近衛兵のこと。 [↩]
- 県城とは、県の中心である都市のことである。 [↩]