学者の思い出語り
年配の学者が昔の学会活動を回顧するために、昔の様子をまとめた随筆を学会誌に載せたり、思い出を語る座談会を開いたりするということがある。そして、学術以外の世界と同様に、こうした年配の方々は「おれも昔は無茶をやったなぁ」といったことを書いたり語ったりすることが少なくない 。例えば、日本アフリカ学会の回顧座談会では、アフリカに研究しに行くために、昔は捕鯨船に乗せて連れて行ってもらったといった「武勇伝」が語られていたりする [1] 。
こうしたものを面白い昔話として捉えるのか、単なる年寄りの繰り言として捉えるのかは人によって評価が分かれるところだろうが、ともかく、昔のことを知らせようとする人はそれなりにいる。
日本オリエント学会設立の回顧座談会
さて、1954年に設立された日本オリエント学会というオリエントの歴史・文化の研究に関する学会がある。この学会についても、学会設立のころを回顧した座談会が1977年に開かれていて、その内容が学会誌の『オリエント』に掲載されている。これは、今ではウェブ上で公開されている。
- 三笠宮崇仁・杉勇・板倉勝正・川村喜一.(1977). 「『オリエント』をふりかえって」『オリエント』20 (2), 89-108. http://doi.org/10.5356/jorient.20.2_89
先にも述べたように、こうした座談会はありふれた企画で、面白い人にとっては面白く、そうでない人にとってはどうでも良いというようなものなのだが、実はこの学会の初代会長が三笠宮崇仁親王という宮様なのだ。名目上の名誉会長とかそういうわけではなく、本当にオリエントの歴史を研究していて、それで学会を作ろうとして初代会長になったのだ。そして、その宮様が回顧に加わっているのが、この座談会が普通の学会回顧の座談会と違う面白いところになっている。
例えば、学会設立に際し、宮様が入会申込書を手ずから配るというシーンが座談会で語られている。学会を設立するために会員を集めようとしている人が、こうやって自ら手を動かすのはそんなに変わったことではない。とても真っ当なことだ。だけれども、それが大正天皇の四男で、昭和天皇の末弟という宮様がやっていることだから、なぜか同行の学者が「一体、あんなことを殿下にさせる法があるか。君がやるんじゃないのか。」と怒られることになる。
こうした感じで、学者としてはありふれた行動と、親王殿下というご身分のギャップが面白さを感じさせるのだ。
面白かったエピソード
もちろん、面白いと思うところは、人によって違うと思うし、そもそもどこが面白いのか分からないという人もいると思うが、自分がこの座談会の記録を読んで面白いと思ったエピソードをいくつか挙げておきたい。
- 学会ができるに当たって、研究関係の書籍を1か所で読めるようにしたいという話が出る。そこで、突然、天理教の真柱(最高指導者)である中山正善氏が出てきて、ポンとお金を出して、ヨーロッパまで書籍を買いに行ってくる。
- 宮様がオリエント関係の文献を読むために、京都に行く。京都で受け入れる中山氏が、宮様に宿泊先は都ホテルが良いか日本風の宿屋が良いか聞いたところ、宮様は天理教の「教会の玄関の横っちょへ泊めてくれ」と言い出し、実際に河原町の教会に宿泊。
- 学会誌が刷り上がると宮様が自分で自動車を運転して印刷所から運び出す。ちなみに、印刷代は、宮様の顔で安くなることも。
- 天理大学の図書館で1週間ほど勉強する宮様。いわく、「どこからも電話一つかかってこない。こんないいところはない」と。
- 学会の運営費が足りなくなると、中山氏がポンと70万円出してくれる。
- 学会誌に広告を載せようと言い出す宮様。しかし、「学術雑誌に広告はえげつない」といった反対を理事会で受ける。
この宮様は、学生食堂で1杯20円のきつねうどんを好んで食べたというエピソードがある [2]ぐらい飾らない人物なので、日本オリエント学会でのこうしたエピソードも全くおかしくないのだけれども、宮様というご身分からのギャップがやはり面白いところではある。
- アフリカ研究編集部. (2004). 「日本アフリカ学会創立40周年記念座談会」『アフリカ研究』創立40周年記念特別号,119-138.http://doi.org/10.11619/africa1964.2004.Supplement_119 [↩]
- 朝日新聞デジタル.(2016年10月27日).「『聖戦』批判、『紀元節」復活に反対 三笠宮さまの戦後」『朝日新聞デジタル』 http://www.asahi.com/articles/ASD7Z4TWTD7ZUTIL019.html [↩]