10世紀半ばの和歌の出土
山梨県甲州市塩山にて10世紀半ばの平仮名の和歌が刻まれた土器が出土したことを同市の教育委員会が2017年8月25日に発表した。この土器には、「われにより おもひく●らむ しけいとの あはすや■なは ふくるはかりそ」(●は「る」か「ゝ」、■は欠損)と書いてあったそうだ [1] 。適当に漢字にすると、次のようになるだろうか。
我により 思ひくゝらむ 絓糸の あはずやみなば 更くるばかりぞ
絓糸は、織物の横糸として使われる粗末な絹糸のこと。これに縁語として「よる」(撚る)や「くゝる」(括る)や「あふ」(合う)を組み合わせつつ、「あふ」を「会う」の意味に掛けている。そして、下の句がこの和歌が本当に言いたかったことで、「会わないでいたとしたら、時間が過ぎてしまうばかりだ」としたのだろう。
ところで、この和歌は何のために詠まれたのだろうか。
恋人に寄せる和歌か?
NHKのオンライン記事には、以下のような記述がある。
つまり、NHKの報道によれば、この和歌は恋人に寄せる思いを詠んだものということになる。
送別の宴席での和歌か?
これに対して、朝日新聞のデジタル版の記事には、恋人に寄せる思いだという話は出てこない。
つまり、国司のような人物が送別の宴席で地元の有力者に贈った和歌だとしている。
NHKの報道と朝日新聞の報道はかみあっていない。これはどういうことだろうか。
矛盾の解決に向けて
毎日新聞のデジタル版の記事を見ると、以下のように書いてある。
おそらく、この毎日新聞の記事が、山梨県立博物館館長の実際の発言を捉えているのだと思う。そして、NHKは「恋歌のようにも見える」というところをもとに記事を書き、朝日新聞は「別れの席で在地の有力者に配った」というところをもとに記事を書いたのだろう。
ただ、毎日新聞の記事を見れば分かるように、「恋歌のようにも見える」というところはあくまでも副次的であり、「別れの席で在地の有力者に配った」というところが館長の推測の主眼である。その意味では、NHKの記事の書きぶりは、朝日新聞の記事の書きぶりほど良くないと言えよう。
- 平畑玄洋.(2017年8月25日).「和歌刻んだ土器が出土 ひらがなの伝播知る手がかりに」『朝日新聞デジタル』 http://www.asahi.com/articles/ASK8T52KWK8TUZOB008.html [↩]