アポロ11号の祟り

概要
アポロ11号が月面に着陸して月が汚されたために天候が不順になったという祟りが語られたことがある。

はじめに

祟りについての話を聞いたことがある人は少なくないと思う。祟りというものは、神仏の怒りに触れたり、動物を殺傷したりしたときに起きるのが相場だ。例えば、神社を汚した人が神の怒りに触れて病気になるといった祟りがある。あるいは、蛇を殺したために身内に不幸が起きるといった祟りもある。

だが、こうした「普通」の祟りとは違った原因で発生する祟りもある。そうした一風変わった祟りの例として、アポロ11号の月面着陸による祟りという話を紹介しよう。

アポロ11号に乗って月面に降り立った宇宙飛行士
アポロ11号に乗って月面に降り立った宇宙飛行士 [1]

月を汚した祟り

アポロ11号とは、アメリカの宇宙船で、人類が始めて月面に着陸したときに使用された。このアポロ11号が月面に着陸したために、月が汚されて、天候が不順となったという祟りの話がある。この祟りの話は、滋賀県伊香郡余呉村で採取された話である。余呉村は近江盆地と敦賀平野にはさまれた山の中にあった村で、今では長浜市の一部になっている。

この話の詳細は、東洋大学の学生団体が1969年に滋賀県伊香郡余呉村を調査した際の報告書の中に記載されている。報告書から該当部分を引用しよう。

〔月を汚した祟り〕アメリカのアポロ一一号が月へ行った数日後、お月様が真赤になっていた。何かいやなことがあると思ったら、それから今年の不順天候が続いた。おかげで今年は稲が不作になってしまう。アメリカがお月様を汚したからいけないのだ。しかし滋賀県のこんな片田舎だけに雨を降らせるのはしゃくだ。(椿坂 宮本さだ氏)
東洋大学民俗研究会 (1970). 『余呉村の民俗―滋賀県伊香郡余呉村―』 東京:東洋大学民俗研究会. p.164

上に引用した話は、報告書の中の「世間話」の項の中に収録されている。「世間話」に載っている他の話は、キツネや天狗の話や地蔵の祟りの話であって、古くからありそうな話である。しかし、この月を汚した祟りの話は、非常に最近に発生した話であるという点で特異である。実際、アポロ11号が月面に着陸したのは、日本時間で言えば、1969年7月21日である。東洋大学の学生による調査は、1969年の夏に行われたので、この祟りの話は生まれた直後に文献に記録されたことになる。

赤い月

煙によって赤く見える月
煙によって赤く見える月 [2]

さて、先ほど引用した中で「お月様が真赤になっていた」という話があった。月が赤くなることはあるのだろうか。

月が赤くなることは実際にある。例えば、大気中にちりやほこりが多ければ、月は赤く見える。ちりやほこりが多いと、青い光のような波長の短い光は散乱してしまう。これに対して、赤い光は波長が長いのであまり散乱せずに残る。結果として月が赤くなるのである。

また、月が地平線の近くにあると、赤く見える場合がある。これは地平線に近い方が、光が通過する大気の層の距離が長くなり、波長の短い光が散乱してしまうからである。結果として、あまり散乱しない赤い光が残ることになる。これは夕焼けと同じ原理である。

天候不順と稲の不作

ところで、アポロの月面着陸の後に、余呉村では不順な天候が続いたのだろうか。当時の余呉村の天候については分からない。だが、近隣地域の気象記録からある程度想像することはできる。

ここでは、余呉村付近にあった3つの観測地点(彦根・敦賀・伊吹山)の気象観測データに着目したい。なお、こうした観測データは気象庁のウェブサイトから見ることができる。

以下のグラフは、上記3地点の1969年7月と8月の日照時間を表したものである。

1969年7月・8月の日照時間を表したグラフ。上から順に、彦根・敦賀・伊吹山に日照時間が描かれている。グラフ中で、アポロ11号が月面に着陸した1969年7月21日は、赤い縦線で示されている。月面着陸の後の灰色で網掛けした時期(7月23日から8月11日)は日照時間がその前後よりやや少ない傾向が見られる。
1969年7月・8月の日照時間を表したグラフ。上から順に、彦根・敦賀・伊吹山の日照時間が描かれている。グラフ中で、アポロ11号が月面に着陸した1969年7月21日は、赤い縦線で示されている。月面着陸の後の灰色で網掛けした時期(7月23日から8月11日)は日照時間がその前後よりやや少ない傾向が見られる。

気象庁の記録によれば、1969年の近畿地方の梅雨明けは7月15日ごろである [3] 。つまり、グラフの一番左側に当たる7月の前半は梅雨の時期であり、全般的に日照時間が少ない。その後、梅雨が明けると、1週間程度晴天が続き、日照時間が多くなっている。

アポロ11号が月面に着陸した7月21日から数日を経た後、若干日照時間が少ない傾向が見られる。また、7月23日から8月11日の20日間 [4] で、 1 mm 以上の降水を観測した日は、彦根で9日 [5] 、敦賀で13日 [6]、伊吹山では15日 [7] ある。天候不順と言えば、不順と言えるかもしれないといった程度である。もちろん、祟りを語った人が祟りを意識することで少し天気が悪いのを不順だと考えてしまったのかもしれない。なお、余呉村は山地の中にある村で、平地の彦根や山を越えた先の敦賀とは気候が違うということには注意しておく必要があるだろう。

さて、先ほどの引用では「稲が不作になってしまう」ということが書かれていた。その後どうなったのだろうか。1969年の滋賀県の水稲の作況指数 [8] を見ると、107である。これは、豊作の部類に入る。ただし、これは滋賀県全体の作況を示したものなので、余呉村での作況がどうなったかは分からないが。

脚注
  1. Wikimedia Commonsより、NASAによるパブリックドメイン画像を使用 []
  2. Wikimedia Commonsより、Luis Argerich氏によるCC BY 2.0画像を使用 []
  3. 敦賀が属する北陸地方の梅雨明けは7月16日ごろである(気象庁の記録による)。 []
  4. 8月4日夜に、昭和44年台風第7号が潮岬付近に上陸し本州を縦断した。 []
  5. 7月23日、26日、31日、8月1日、2日、4日、5日、7日、10日。 []
  6. 7月23日、27日、31日、8月1日、2日、4日、5日、6日、7日、8日、9日、10日、11日。 []
  7. 7月23日、24日、26日、27日、31日、8月1日、2日、3日、4日、5日、7日、8日、9日、10日、11日。 []
  8. 作況指数が100であることは、平年値と同等の収量であることを示す。100より大きいと平年より収量が多いということになる。 []