『ウィズダム英和辞典』における中国共産党に関する記述の誤り

概要
『ウィズダム英和辞典』所載の共産党が1946年に中国の支配権を掌握したという旨の例文は歴史的事実に則していない。

『ウィズダム英和辞典』での例文

OS X 10.11 El Capitan の辞書.app の英和辞典で“control”という単語を引いたところ、次の例文が出てきた。

The Communist Party won control of China in 1946.

共産党は1946年に中国の支配権を掌握した。

辞書.app の英和辞典は『ウィズダム英和辞典』のデータを使用している。そこで、紙の『ウィズダム英和辞典第3版』(2013年刊)を確認したところ、紙の辞書でも“control”の項で同じ例文が挙げられていた。

この例文は英語としては問題がないが、“1946”という西暦年が歴史的事実に則して誤っていると言わざるをえない。詳しくは後述するが、おそらくは“1949”の誤りであると思われる

支配権の掌握は1946年ではない

上述の例文で出てきた“The Communist Party”(共産党)は、中国の話であるから、中国共産党のことであると思われる。中国共産党は、第二次世界大戦終結後に、中国国民党との内戦に勝利し、最終的に中国の支配権を掌握している。しかし、その掌握の時期は、1946年とは言えない

1945年に第二次世界大戦が終結すると、中国国民党と中国共産党の間の軍事衝突が相次いだ。例えば、1945年10月には、山西省南部で共産党の軍勢が国民党の3万5千人の部隊を殲滅した上党戦役が発生している。その後、両勢力の停戦に向けての努力が進められたものの、1946年6月、国民党軍に共産党支配地域への全面進攻が命じられ、中国は全面的な内戦状態に陥る。ただし、1946年の時点では、国民党側が共産党側に対して優位に立っており、1946年6月の段階では国民党と共産党の勢力比はおおよそ4対1から3対1であった [1]

この情勢が逆転したのは、1948年9月から1949年1月にかけて行われたいわゆる三大戦役 [2] である。共産党はこの三大戦役に勝利したことにより、国民党に対して優位に立った。その後、共産党は国民党の支配領域を次々に奪い、1949年10月1日に中華人民共和国の成立を宣言する。さらに、国民党が共産党によって中国大陸からほぼ排除されるのは1950年になってのことである [3]

要するに、1946年の段階では、共産党が中国の支配権を掌握したとは言えない。支配権の掌握のメルクマールとしては、三大戦役での勝利か、中華人民共和国の成立宣言のいずれかが考えられるが、いずれにせよ1949年になってのことである [4]

このため、『ウィズダム英和辞典』の“control”例文は歴史的事実に則して誤りであると言えよう。

脚注
  1. 天児慧.(2004). 『中国の歴史11 巨竜の胎動』東京:講談社.pp.87-91. []
  2. 遼瀋戦役、淮海戦役、平津戦役。 []
  3. 天児慧.(2004). 『中国の歴史11 巨竜の胎動』東京:講談社.pp.91-94. []
  4. 国民党勢力が中国大陸からほぼ排除された時点を支配権の掌握として捉えるのであれば、1950年のことになるが、いずれにせよ1946年ではない []