昭和への改元を1ヶ月以上知らなかった集落

概要
雪に閉ざされていたために1ヶ月以上、大正から昭和に元号が変わったことを知らなかった集落があった。

改元を知らぬ集落

1926年12月25日、大正天皇が崩御し、同日、元号が大正から昭和になった。実は、日本国内で、この改元を1ヶ月以上も知らなかった集落があった。

1927年2月3日付の『東京朝日新聞』には以下のような記事が載っている。

【岡山電話】英田郡の最北部西粟倉村鐵山地方は舊冬以來大雪に閉され交通全く途絕、十數名の部落民はまだ昭和改元の次第を知らなかつたと

昭和に改元したことを知らなかったのは、岡山県英田郡西粟倉村 [1] の鉄山という集落。雪に閉ざされていたために、ほかの地域とのやりとりがなく、昭和に改元したということを村人が知り得なかったのである。

昭和初期ともなれば、前近代に比べ情報の流通速度が格段に向上している。とは言え、この改元を知らぬ集落の例のように、情報の速度はまだまだ遅かったのである。このような小集落に対しても、しっかりとした情報インフラが用意されるようになるのはこれから何十年も経ってからの話である。そして、多くの小集落は、そうなる前に消失した。

どんな集落だったのか

この鉄山という集落は、現在の西粟倉村の大茅という大字に属する。今ではこの集落は消失している。「鉄」の「山」という名前のとおり、この集落ではたたら製鉄が行われていた。中国山地の山の中ではこの集落のように製鉄を生業としているところが少なくなかった。「【西粟倉村のおばあちゃん紹介!】タタラ製鉄の集落で生まれたツギノさん」という記事では、大正期に鉄山に生まれた女性のインタビュー記事が載っている。この記事でインタビューを受けているツギノさんは、2012年の記事で89歳なので、1923年(大正12)か1924年(大正13)の生まれであろう。子どものころは、オオカミ [2] の鳴き声が聞こえたとか。なんでも、7歳の冬に鉄山集落から一旦離れたところ、雪で鉄山にあった家が倒壊してしまったそうだ。そのため、それ以降は鉄山に戻らなかったとのことだ。

山も海も』というウェブサイトの「西粟倉村 大茅地区 現地訪問」というページに西粟倉村の鉄山の現在の写真が掲載されている。また、「【リアルキ スピンオフ!】田舎暮らし編」にも鉄山の遺構の写真がある。

脚注
  1. 西粟倉村は、昭和から今に至るまで廃置分合がなく、1927年当時の領域と現在の領域は全く同一である。同村は中国山地の中にあり、現在では豪雪地帯に指定されているほど雪が降る。 []
  2. ニホンオオカミの最後の生存確認は明治の話。だから、この女性が生まれたころには既に絶滅しているはずだが、あるいはこのような山奥に生き残りがいたのかもしれない。もしくは、単なる野犬かもしれないが。 []